宴も酣を過ぎたパーティー会場。
環は仕事相手との歓談を終え、すっかり放置してしまった深知留の姿を会場内に探す。
ぐるっと見回したが、どうしたことか彼女の姿はない。確認の意味も込めて再び辺りを見回すと、環の視界には一人の女性が目に入る。
女性、いや、環にすればまだ少女と表現した方がいいのかもしれない彼女は、会場の外をただ何となく見つめていた。
その視線の先にあるもの――それを確認した環は近くのテーブルからノンアルコールのドリンクを手に取って彼女の元へと向かう。
「由利亜さんでしたね?」
そう声を掛ければ、彼女、由利亜は驚いたように環へと視線を移す。
「あ、龍菱さん……どうも……」
由利亜は軽く会釈をする。
そんな彼女に環はシャンデリアの光をキラキラと反射させるグラスを持たせてやる。由利亜はそれを「ありがとうございます」と言って受け取る。
「どうやら、深知留がお二人の邪魔をしているようだ」
「いえ、そういうわけじゃないんですよ」
環が今まで由利亜の向けていた視線の先を見れば、会場の外では蒼と深知留が楽しそうに話し込んでいた。
互いに相手がいるということが周知の事実であるからいいものの、それは何も知らない人が見たらまるで恋人同士だ。いや、互いに相手がいると分かっていても、彼らを見てよからぬ事を思う人間だっているだろう。
かく言う環も、本音を言えば後者だ。
深知留と蒼が単なる幼馴染みだというのは彼女から十分に説明を受けて知っている。もちろん、過去に恋愛関係であったわけでもないということも。ただ、兄妹のように仲が良いのだと聞いた。
しかし、嫉妬という心は時と場所、さらには相手を選ばない。
普段はなんでもないのに、こうして蒼と仲良くしているところを見せつけられると環のそれには静かに火がつく。それはもう条件反射と言ってもいいのかもしれない。
深知留にとっての蒼という存在は絶対的なもので……それは恋人の自分がどんなに頑張ったところで勝てないような、そんな思いが芽生えるともう止まらない。
この時、環は由利亜もきっとそんな風に思っているに違いないと考えた。この件に関して、彼女はこの世で一番の理解者かもしれない、と。
環は今まで深知留達へ向けていた視線を由利亜に戻す。
そして、
「あの二人は本当に仲が良い。幼馴染みだと分かっているけれど、思わず嫉妬してしまうくらいにね」
そう口にした。
すると、由利亜は何だか不思議そうな顔で環を見返す。
「嫉妬……ですか?」
「あぁ。由利亜さんはしない? あれだけ仲のいい二人を見てると、不安になったり、心配になったり……君はそういうこと無い?」
環の補足説明に一度納得の表情を見せた由利亜は、すぐに環にニコリと笑ってみせる。
「それは全くないですよ」
「え?」
言い切った由利亜に、環は疑問の声を漏らす。
「どちらかと言えば、わたしは蒼さんが深知留さんとああいう風に仲良くしてくれてる方が安心するんです」
「安心する?」
これまた納得の行かないことを言った由利亜に、環は思わず尋ね直す。
「ええ。蒼さんて……たぶん日々凄いストレスの中で生きていると思うんです。わたしが想像するよりずっと。でも残念ながら、それはわたしだけでは癒してあげられません。わたしはまだまだ子どもですし、経験不足なところがたくさんありますからね。だから、彼にはわたしとは別に支えてくれる人が必要なんです」
「それが深知留?」
「はい。でも、深知留さんだけとは限りませんよ。別のお友達だったり、信頼してる部下の人だったり色々です。それに……龍菱さんにだって無いですか? 恋人の深知留さんには言えないけど、他の人だったら相談できること。ううん、恋人の深知留さんだからこそ言えないこと……の方が正しい表現ですかね?」
「…………」
返答のない環に、由利亜は続ける。
「わたしにはありますよ。蒼さんには言えないこと。蒼さんだからこそ言えないこと。そういうのは一番仲良しの友達に相談します。わたしの場合それが女の子ですけど、蒼さんはそれが異性で深知留さん、ってだけのことです」
由利亜は一度言葉を切ると、再び視線を深知留と蒼の元へと戻す。
「本音を言えば、まぁ深知留さんだから大丈夫っていうのもありますけどね。どんなに理解のあるようなこと言っても、深知留さん以外の女性なら、わたしもきっとヤキモチ妬きます」
由利亜は言葉を終えるとフフッと笑ってみせた。
「その深知留だから……っていう理由、聞いてもいいかな?」
「理由になるか分かりませんけど……だって深知留さんと蒼さんてもう二十年以上一緒にいるんですよ? 恋人関係になるならわたしと出会うまでになってます。仮にこれから先もしかして……って考えたところで、そんなの考えるだけ時間の無駄だし疲れるだけだと思いません? それに……」
「それに?」
言葉を切った由利亜に、環は続きを促すように尋ねる。
「わたし、深知留さんも蒼さんも信じてますから。あと、これ……たぶんなんですけど……わたしが深知留さんを信じられる理由と、龍菱さんが深知留さんを好きになった理由、一緒だと思いますよ」
「…………」
はっきりと言い切った由利亜に、環はもはや返す言葉もなかった。
その時、環はこれまでの由利亜の一連の言葉に頭を殴られたような衝撃を受けていたのだ。
言われてみれば確かにそうだ。今由利亜が言ったように、深知留が誰からも信じられるような人間であるからこそ好きになったのだ。そういう魅力を持った彼女だからこそ。
なのに……それを指摘されるまで気付かないとは、深知留だけに焦点を当てすぎたがために、随分視野が狭くなっていたようだと環は感じる。そして同時に思うのは、自分がなんて小さい人間なのだろうということ。
単なる嫉妬心に駆られて、深知留と蒼が一緒にいることだけに固執をしていて、由利亜のようにそれが持つ重要な意味など考えさえしなかったのだから。
一回り以上も違う、少女と言っても良いような女性に環はまさか教えられることがあるとは思っても見なかった。人生経験だって、踏んだ修羅場の数だって、遥かに環の方が上回っているのは明らか。
しかしそれは経験値や年齢だけで分かることではない。
環はふと由利亜の言ったワンフレーズを思い出す。
『わたしはまだまだ子どもですし』
少しも子どもなもんか、と環は今更ながらに思う。そんな風に教えを受けるような自分の方がよほど子どもなのだとも。
その時だった。
「すいません、環さん。つい話し込んじゃって……。由利亜ちゃん、ごめんね。たくさん待たせちゃったよね?」
いつの間にか、深知留と蒼が戻ってきていたのだ。
謝る深知留に由利亜は「わたしも龍菱さんとお話ししてたからいいんですよ」とこれまた大人な対応をしている。
すると、不意に蒼が由利亜の手を引き、彼女の前に立った。それはそう、まるで彼女を自分の背に隠すように。
その意図を環は一瞬にして感じ取ってしまった。
「龍菱さん、すみません。由利亜のお相手をしていただいて。何も粗相はありませんでしたか?」
まるで何事もないように問う蒼に、
「いいえ、粗相なんてとんでもない。楽しい時間を過ごさせていただきました」
やはり何事もないように答えながら、環は、
(俺の一番の理解者は……実は彼の方だったのかもしれないな……)
自然とこみ上げる笑いを堪えながら、静かに思った。
−おわり−