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* 秘めた想い 第8夜 *

 相変わらず人のいない隊舎で一人静かに考えに耽っていたロイフェルドは、頬杖をついて深い溜息を吐く。
 一体何度溜息を吐いたのかもう分からない。
 今更後悔しても何も取り戻せないのに、後悔をせずにはいられない。
(もう……彼女は来ないかもしれないな……)
 諦めがロイフェルドを支配する。
 書き置きを残してきたが、あんな酷い目に遭わせてしまってはもう復讐など諦めたかもしれない。それはそれで良いのだが、もうリリアナに会えないと思うとそれだけで胸が締め付けられた。
 一夜の夢――そう片づけるには辛すぎたから。
 するとその時、隊舎に見知った顔が入ってきた。
「おう、ロイド。ここにいたのか」
 出入り口に立っていたのはジルギスだった。
 彼はそのままロイフェルドの向かいに腰を下ろす。
「なぁに見てんだよ。可愛い子でもいたか?」
 ジルギスはロイフェルドの視線の先を探す。
「別に……」
「あ、そうだ可愛い子って言えばさぁ……」
 その時ロイフェルドの様子などお構いなしに話しかけるジルギスに、ロイフェルドは意識の半分も向けていなかった。
 しかし、
「さっき小耳に挟んだんだけど、リリアナちゃん倒れたらしいぞ。お前知ってたか?」
 予想外の言葉にロイフェルドはその視線をジルギスへと向けた。
(今……なんて言った?)
 ロイフェルドの顔が自然と強ばる。
「お前、今……なんて?」
「え? だから、リリアナちゃんが倒れたって……って、オイ、ロイド! お前何処行くんだよ!!」
 ジルギスの口から再度確認したロイフェルドは、彼の言葉を最後まで聞くこともせず気づいた時には隊舎を勢いよく飛び出していた。


*−・−*−・−*−・−*−・−*



「……リ…………て……よ」
 霞がかった靄の中、リリアナはわずかに聞こえる何かに耳を傾ける。
「……リ……ね………」
(何……?)
 リリアナが本能のままに音の聞こえる方へと足を向ければ、
「リリ……」
 誰かの呼ぶ声がはっきりと聞こえた。
 また少し歩み進めれば、
「リリ……起きて、起きてよぅ…………」
 今度ははっきりと聞こえる。
(起きて……? わたしは歩いてるわ……。 誰? 誰が呼んでるの?)
 その時、リリアナはフワッと体全体を光に包まれた気がした。
(……眩……しい…………)
 そう思った次の瞬間、
「リリ!」
 目の前に飛び込んできたのは、よく見慣れたクランツの顔だった。
「……殿下?」
 よく見れば、クランツの顔は涙と鼻水でグシャグシャになっている。
「こんなに泣かれて、どうされたのです? 何か悲しいことでもございましたか?」
 リリアナは目の前の幼子の涙を拭ってやる。
 すると、
「リリアナ、目が覚めたのだな?」
 不意に聞こえた声に視線を動かせば、そこにはユースタスの姿が見える。
(――――!!)
 そこで初めて、リリアナは思考回路がつながった。
 自分は国王陛下と話をしていて意識がなくなったというところまで思い出す。
 そして今、リリアナはベッドに横になっている。
「へ、陛下……申し訳ございません!」
 リリアナが慌てて起き上がろうとすれば、
「寝ていなさい。起きてはいけないよ」
 ユースタスがリリアナの肩を優しく押して、今まで横たわっていたベッドへと体を戻させる。
「医師の見立てでは過労だそうだ。他に何も無くて良かった。今日は一日ゆっくり休みなさい」
「陛下……」
「クランツ、だから大丈夫だと言ったろう? さぁ、今からお前はリリアナの看病をしてあげなさい」
「カンビョウですか?」
「陛下、そんな滅相もございません!」
 ユースタスの言葉に驚いたリリアナは再びその身を起こそうとするが、やはり同じようにベッドへと押し戻される。
「クランツがとても心配してね。このままリリが死んだらどうしようって。きっと、今日はもうお前が心配で武術の稽古にも勉学にも身が入らないだろうから、側に置いてやってくれ」
 ユースタスはそうリリアナに柔らかく微笑みかけると、その腰をかがめてクランツと同じ視線になる。
「看病はね、病気の人に優しくして世話をしてあげることだ。お前ならリリアナにしてやれるね?」
 ユースタスが語りかければクランツは「はい」と元気よく返事をした。
「そしたらまずはセレンに聞いて、看病に必要なものを用意しておいで」
 クランツは父王の話を聞き終えると、部屋のドア近くに控えていたセレンと共に出て行った。
 ユースタスはその背を見送りながら、
「臣下の者を大切に思いやる心も、次代の君主には必要なことだ。今日はあの子に甘えて何でもしてもらうといい。明日も調子が悪ければ休んでいなさい」
「いえ、陛下……明日は、明日は必ず…………」
「リリアナ、無理をしてはいけない。君が休んでも誰かが何とか代わりはできるけど、君がいなくなっては誰も代わりはできない……少なくとも、クランツと私にとってはね。それをよく覚えておいてくれ」
 ユースタスはそう言ってリリアナの頭をポンポンと叩くと「それでは、私は仕事に戻るよ。おやすみ」と言って静かに部屋を出て行った。
 リリアナはいつの間にか熱くなった目頭を押さえながら、ユースタスを見送った。
 ケルウェスに捨てられてから――復讐を誓ってから先、リリアナは自らの命などもうどうでも良いと思っていた。特に、神を裏切ることを心に誓ってからは尚更に。
 だから今、ユースタスに言われた言葉がリリアナには痛いほどに染みこんだのだ。こんな自分を必要としてくれる人間がいるのだということが、今のリリアナには泣くほど嬉しかった。


*−・−*−・−*−・−*−・−*



 隊舎を飛び出したロイフェルドは迷うことなく女官たちの部屋がある建物の前まで来ていた。
 倒れたというのだから既に自室にいるのだろうと思ってここまで来たが、ロイフェルドはそれ以上動けなかった。
 ここまで来るうちに考えたのだ。
(……俺が行って、どうする?)
(そもそも俺は……正面からリリアナの元へ行けるような立場にはない)
 冷静になればその通りだった。それに、そもそも倒れる原因となったような相手にリリアナが会いたいわけがなかった。
 ジルギスから話を聞いてただ感情の赴くままにここまで来てしまったが、それが間違いだったのだ。
 すっかりと冷静さを取り戻したロイフェルドは、自らの出る幕ではないと踵を返した。
 その時だった。
「あの……クラヴィアーナ殿ではございませんか?」
 振り返ればそこにはセレンが立っていた。
「もしかして……王太子殿下のお迎えでしょうか? 確か本日の午後、殿下のご予定は剣術の稽古でしたね」
「あ、あぁ……」
 言われて、ロイフェルドは記憶を呼び起こす。確かにそんな予定を朝礼で聞いていた気もする。
 セレンはどうやら誤解をしているようだった。
「……実は、本日リリアナさんが体調を崩されまして、殿下はリリアナさんのおそばにいることになりましたので、稽古には行けないと上の方にお伝え願えないでしょうか? もちろん国王陛下は了承済みですので、何か問題がございましたらお知らせください」
「えぇ……分かりました」
「もっと早くにご連絡すべきところを、すっかり遅くなってしまいましたね。クラヴィアーナ殿にもご足労をお掛けしてすみません。それでは、わたくしはこれで……」
「あの……セレン殿」
 建物の中へ入っていこうとしたセレンをロイフェルドは思わず呼び止める。
「リリアナ殿はそんなに悪いのでしょうか?」
「いいえ、今は静かにお休みですよ」
「医師には?」
「はい、診ていただきました。過労とのことです。ご心労が重なったのでしょう……でも、すぐに良くなるかと。あの……もうよろしいでしょうか?」
「……呼び止めてすみません。リリアナ殿にお大事にと……いえ、やはり何も仰らないでください。彼女のことですから、周囲に知れていると分かればまた余計な気遣いをするでしょう。では、セレン殿の伝言はお預かり致します」
 ロイフェルドは軽く一礼をすると再び踵を返した。
(故意的に傷をつけた相手が、その傷の心配をするなど……滑稽だな)
 自嘲の様な思いがロイフェルドの心を支配する。

−to be continued−



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