「深知留?」
手を止められ、不思議そうに様子を伺う環に深知留は、
「
そう言って、酔いの他情欲の相乗効果により潤む瞳で環を睨み付ける。それは男にすればたまらない顔。
しかし、止められたのは面白くない。
「駄目? 何が駄目? ……酷いな。自分でキスして誘ったくせに、今更やめろって?」
環の恨み言に深知留はふるふると頭を振ると、そのまま環の腕をすり抜けてソファーを下りた。
環はソファーに腰かけ直し、そんな深知留の動向を見守る。
すると深知留はそのまま環に跨るようにして向き合って座った。
「今日は環さんは何もしちゃ
「どうして?」
「らって……そういうのがいいんれすよね?」
「そういうの?」
「生意気れ、小悪魔れ……積極的なの」
言われて、環はすぐに西山サエリを思い浮かべた。どうやらまだ深知留には随分と誤解があるようだ。
しかし、
「上手くれきないかもしれないけろ……がんばりますから」
深知留はそのまま環の返事を待たずに彼の唇に再び口づけを落とし、今度はそのままに留まらず唇を首筋から鎖骨へと這わせていった。
環は環で、もうここまで来たらとりあえず深知留の好きにさせることにした。
主導権を握りたい気持ちは今でも存分にあるが、深知留がこれで満足するならと思ったのだ。それに彼女が一体どんな風に自分を悦ばせてくれるのかにも興味が沸く。
深知留は環のワイシャツのボタンを一つずつ外すと唇と一緒に手で彼の肌をなぞり、そのまま一度だけ彼の鎖骨近くを強く吸い上げた。
チクリというわずかな痛みが走ると同時に紅い花が咲く。
それからしばらく環に愛撫を与えていた深知留であったが、いつの間にか彼女は動きを止めた。
環を焦らしているのか、はたまた次にどうしようと悩んでいるのか環自身は期待と思いを巡らせる。
が、
すぐにそれはどちらも間違っていたと分かる。
なぜなら、
聞こえてきたのは深知留の気持ちよさそうな寝息だったから。
「深知留……ねえ、深知留?」
環に身を預け、すうすうと寝込む深知留はピクリとも動かない。それはもう完全に熟睡。
試しに環がツンツンと深知留の頬を突くが反応はない。
「ここまできて、それはないだろう深知留。……嫌がらせか?」
環はたまらずに深い溜息を吐く。
もちろんそれに深知留が答えることは無かったが、わずかにその寝顔が微笑んだ気がした。
翌朝目が覚めると、深知留は何となく頭が重かった。
(そっか……夕べ鈴さんとワイン飲んだんだっけ。ちょっと飲み過ぎたなぁ……)
そんな風に考えを巡らせながら、深知留はもう少し寝たいと布団に潜ろうとする。
ふと、隣に温かい物があるような気がしてモソモソと手と体を動かす。
案の定、そこには知っている暖かみと手触りがある。それは環の厚い胸板。抱きしめられると安心するそれを、深知留はペタペタ、スリスリと夢うつつのまま触れる。
なんだかとっても久しぶりに触ったような気がするそれは、変わらずに気持ちがいいし落ち着く。
(環さん、帰ってきたんだ……)
そのことにすっかり安心して再び微睡み掛けた深知留であるが、
(……あれ? ……いつ帰ってきたんだっけ?)
その疑問が浮上した時、深知留はその瞼を上げた。
「おはよう、深知留」
視界にどアップで飛び込んできたのは久しぶりに見た恋人の柔らかい微笑み。
瞬間、深知留は今までの眠気が嘘のように吹っ飛ぶ。
「…おはよ、う……ござい、ま、す……」
答えながら、深知留は必死で思考を巡らせていた。
(わたし、昨日……鈴さんとワイン飲んでて……あれ?)
中途半端なところから思い出す自分に、深知留は「もっと前!」と自身に指示を飛ばす。
(確か、夕方、西山サエリのブロマイド見つけて……その後、鈴さんにお酒飲みながら愚痴ってて…………)
(……それで? どうしたんだっけ?)
しかし、最初から思い出したところで鈴と酒を酌み交わして愚痴ったところまでしか覚えていない。
深知留の顔はみるみるうちに青くなる。
「深知留、もしかして夕べのこと覚えてないのか?」
「…………」
「薄情だね。あんなに激しかったのに」
言われて、深知留は初めて今自分が裸であることに気づいた。もちろん、目の前にいる環も同様に。
提示された事実と言葉に、もう駄目だとばかりに深知留は泣きそうな顔で目の前にいる恋人を見る。
「すいません……夕べ、一体何が……あったんでしょう? 環さんは、神戸からいつお帰りに?」
「本当に全然覚えてないのか?」
「いや、鈴さんとお酒を飲んでいたところまでは覚えてるんですけど……」
非常に言いにくそうにする深知留に対し、環はクスリと笑みを零す。
そして、
「夕べの君は西山サエリなんて問題じゃなかったよ」
環は深知留の額に口付けた。それはいかにも“何かがありました”というような言い方であるが、あれから先は本当に何もなかったのが事実である。
環も出張の疲れが手伝って、あの後は正真正銘ただ寝た。若干、泣き寝入りした部分があることは否定できないが、全然起きる気配のない深知留に環は諦めざるを得なかったのだ。
そしてつい先ほど目覚めた環は、未だ気持ちよく眠る深知留を見ながらある悪戯を考えついた。もし、目が覚めた時に互いが裸でちょっとそれらしいことを言えば、素直な彼女は絶対に騙されるはずだと。
その悪戯心で環は深知留のセーラー服を脱がせ、彼女が目覚めるのを待った。ただ、なかなか起きない深知留に対し、別の悪戯をしてみたりもしたがそれももちろん内緒。
そして彼女が目を覚ました今……案の定、何かを完全に誤解してくれた様子だ。それはもう、環にすれば笑ってしまいそうになるほどに。
そんな真実も露知らず、深知留は考えていた。環はどうやら何もかもを知っているらしい、と。しかしながら、それは一体誰から聞いたのか、深知留本人か、それとも鈴か。
そして、この時深知留がさらに危惧したのは、
(わたし……一体夕べ何をしたんだろう…………)
考えるだけでも恐ろしくなる。
鈴に愚痴っている時、彼女から「深知留ちゃんも西山サエリみたいに環さんを誘ってみたら?」的なことを言われた覚えはある。そして「わたしだってやればできるのよ……」と酒の勢いに物を言わせて変な自信を持った覚えも何となくあるのだが、もしかしてそれを実行してしまったのだろうかと不安になる。
というか……恐らく実行してしまったに違いない。
だって、環の左鎖骨近くには大きなキスマークがあったから。それは色からしてほぼ確実に深知留が夕べ付けたものだと窺える。
「ご、ごごごごごめんなさい!!」
たまらずに深知留はその顔を両手で覆って謝る。とりあえず謝る。
『悪いことをしたら、ごめんねって言うのよ』
大昔に多英子から教わったことを思い出しながらとにかく謝る。
それから、
「夕べはちょっと飲み過ぎて、それでその、たぶん、何というか、つまり、えと…したがって、それ故に……」
言い訳もちょっとだけしようかと思ったけれど、変な接続詞が出てくるばかりでそれ以上が続かなかった。
環はそんな深知留を穏やかな表情で見ている。その本心は、苦しいほどに笑いを堪えているのだが。
すっかり何かがあったと思いこんでいる深知留は既に半泣き状態だ。それを環は少しだけ可哀想だと思うが、夕べ寝てしまった深知留が悪いとばかりに、さらなる陥穽を彼女に仕掛けようとしていた。
「つまり深知留は非を認めると?」
環は深知留が顔を覆う手を外させる。
「……はい、もちろんです」
深知留は自己嫌悪で環と目は合わせられないようであったが、しっかりと頷いた。
「じゃあ代償を求めても?」
「環さんのお望みとあらば……」
そして従順だった。
もちろん、こんな言い方をすれば深知留が従順になるのは環の計算済みだ。
だから、
「だったら、深知留……」
環は何の前触れもなく深知留に覆い被さった。
「ちょ、ちょっと……環さ、ん!?」
驚く深知留など構わずに、環は完全に深知留を組み敷く。
「夕べ二週間分たっぷり堪能させてもらおうと思ったのに、君は自分だけ満足して寝たんだ。だから、残り十三日分を責任もって払ってもらうよ」
――それって、ほとんど未払いじゃないですか……
深知留はそう突っ込みたかったが、もはやそれは叶わず環の愛撫に呑み込まれる。
「ん、あ……ふ……た、まき……さん!? ちょ……まって……」
「待たない。今日は大学も自主休講してもらうから」
「……えぇ?」
「今から、支払ってもらうよ。未払い分。結果的に、夕べは深知留のお蔭で俺もたっぷり睡眠が取れたんだ。だから、今から一括でね」
「や……それ、駄目……ですって……今日は…夕方、ゼミが…………」
「そう。それなら行っても構わないよ。ただし、行ければの話だけど。心配しなくても病欠の電話はしてあげるさ。親戚のお兄さんがね。とりあえず……今はもう黙って深知留」
最後の最後で耳元で囁かれた甘い声と吐息に、深知留はもはや抗えるわけがなかった。
環は完全に陥穽に陥った彼女にクスリと勝利の笑みを零す。
小悪魔――――
それが男を魅了し、翻弄する女性のことを言うならば……
(深知留、君は十分俺にとって小悪魔だよ)
環は自らの腕の中で既に昂ぶり始めた深知留に対し、その言葉を伝えるかのように彼女の唇を優しく食む。
そう、男にとってみれば恋人は皆、愛しい小悪魔なのかもしれない。