「一回。一回でいいから。ね?」
「でも……」
深知留は困った顔で目の前にいる人物の顔を見上げる。
「お願い。こんな事、他には頼めないだろう?」
深知留が押しに弱いのを知ってか、その人物はさらにプッシュをかける。
やがて居たたまれなくなった深知留はその首を縦に振らざるを得なくなる。
「じゃあ……一回だけですよ? 雅さん」
一体全体何でこんな事になってしまったんだろうと、深知留は彼の顔を見ながら小さく溜息を吐いた。
事のはじまりは至って簡単だった……
その日、深知留が大学から帰るといつもはリビングにいるか出迎えてくれる鈴の姿がなかった。
心配に思って探し回るとメイドの一人が『若奥様はお部屋に』と教えてくれた。
すぐに行ってみれば確かにそこには鈴の姿があった。部屋をノックしても返事がないので恐る恐る開けてみると、あーでもないこーでもないと独り言を呟きながら衣装らしき物を整理していたのだ。
「すーずさん」
深知留が戸口から声を掛けると、鈴はすぐに気づいて迎え入れてくれた。
そして、クローゼットの中を整理していたのだと教えてくれた。ついでに面白い物を見つけたのだと一着のセーラー服を広げて見せた。
「これ、アルメリア女学院!」
それを見た瞬間、深知留は思わず声を上げてしまった。なぜなら、それがとてもよく知る制服だったから。
その制服はワンピースタイプになっており、ちょうど膝丈でふんわりと上品に仕上がっているセーラー服。基調の色は紺色。また袖はパフスリーブになっており、襟は真っ白な変形セーラーカラーで中央には少し大振りな水色のリボン付き。もう一つおまけに腰の部分にもワンピースと同じ生地のリボンがちょこんと付いている。
今から数年前、まだ深知留が高校生だった頃、電車内や街で見かけるたびについつい目で追ってしまった制服だ。
別に深知留に変な趣味があるわけではない。けれど、同じ世代の子ならつい見てしまう……それ程に可愛い制服だったのだ。
そのアルメリア女学院はと言えば、超がつくほどのお嬢様学校であり、それなりの家柄とある程度の偏差値が揃えば幼稚園から大学院までエスカレーター式に行けるとか……
「これ、もしかして鈴さんのですか? 鈴さん、アルメリアだったんですか?」
「そうなのよ。幼稚園からずっとね。こんな制服、もうどこかに行っちゃったと思ってたんだけど、出てきたのよね。必要ないけど、捨てるのもなんだかもったいなくてしまっておいたのね」
「捨てるなんて駄目ですよ!!」
深知留は思わず力強く言ってしまった。
深知留は昔どこかで聞いたことがあったのだ。アルメリアの制服は有名デザイナーによるデザインで全てオーダーメイドで仕立てられると。だから一着の額が凄い値なのだと。インターネット上でもその人気は高く、多少使用感が激しくてもかなりの額で売り買いがされていると聞いたこともある。
「でも羨ましいな。わたし中学も高校もずーっとブレザーだったんですよね。だからセーラー服って凄く憧れてました。特にアルメリアのは群を抜いて可愛いですからね」
深知留は制服の両肩を摘んで自分の目の高さに掲げてみた。憧れの制服を手にしているというのは少しばかり興奮する。
そんな深知留の様子を見ていた鈴は、
「じゃあ深知留ちゃん、着てみたら?」
さらりと提案した。
「え?」
あまりに突飛なその提案に、深知留は思わず聞き返してしまう。
「せっかくだし着てみましょうよ。物も目の前にあるわけだし。わたしも久しぶりに誰かが着てる姿見てみたいわ」
「いや、あの……確かに憧れてはいましたけど、わたしじゃもうセーラー服は着られませんよ。年齢的にもう犯罪の域ですって。十代ならまだしもね……」
何だかえらく乗り気になってしまった鈴に、深知留はそれは駄目だとばかりに断りの文句を並べる。
しかし、一度こうと決めたものをそう簡単に曲げる鈴ではない。
「年齢って……何言ってるのよ。まだまだ大丈夫。それに外を出歩く訳じゃないんだし、見るのはわたしだけ。全然問題ないわよ」
しかし罪悪感が……深知留はそう言いたかったが、鈴はさっさと制服を手にしてファスナーを外しに掛かっている。もはや鈴の中では深知留のファッションショー(セーラー服編)の開催が決定したようだった。
「あの、鈴さん。でもたぶんサイズが無理じゃないですか? 鈴さんとわたしじゃ身長も違いますし」
「それなら…きっと入ると思うわよ。わたし、身長は低いけど変なところは規格外だから」
ふふっと笑いながら言った鈴に対し、彼女の言わんとしていることを感じ取った深知留は思わず鈴の胸に視線を持って行ってしまった。
変なところが規格外……そう、鈴は所謂巨乳さんというやつだ。初めて会った時から、深知留はそうだと確信していた。
深知留も自身も比較的大きな部類に入るが、鈴のそれはまさしく『規格外』だ。グラビアアイドル顔負けと言っても過言ではない。
この可愛さと童顔さで尚かつ巨乳……
(ある意味、堪らないんだよねぇ……鈴さんて)
深知留はどこかのオッサンみたいなことを考えながら鈴の胸を凝視していた。
「肩幅とか多少ぴちっとするかもしれないけど、生地の伸縮性は高いし平気よ。あとはスカートの丈よね……でも、まぁ短くても可愛いわよ。はい、着替えて着替えて」
鈴はセーラー服を深知留に渡した。
◆◆◆
十分後、着替えた深知留は怖ず怖ずと鈴の前に姿を現す……
「あの、一応着……」
「キャァァァ!! 深知留ちゃん可愛いぃぃ! いやぁぁん! 凄ーい!!」
――一応着替えてみましたけど……
そんな深知留の言葉は鈴の絶叫で敢えなく掻き消された。
「これって膝丈のスカートが清楚で良いって定評だったけど、ミニ丈でも可愛いのね」
鈴はそう言ってマジマジと深知留の足を見た。
やはり案の定、鈴との身長差でスカート丈は膝上十センチ程までに短くなってしまった。
今深知留は一緒に用意して貰った紺のハイソックスをはいているが、生足率の高さについモジモジとしてしまう。スカートはもちろん、ミニスカートなんて滅多にはかない深知留は居心地が悪くてたまらなかった。
しかしながら、他のサイズはそれ程困らなかった。
胸回りはもちろん余裕があったし、肩幅とウエスト部分がその体格差のせいで多少窮屈だが、こうして着てみるだけの分には困らない。
(やっぱり、可愛いなぁ……)
と、我が身を見ながら深知留自身も思っていた。もちろんそれは、セーラー服が、の話だが。
憧れただけあって、着てみるとそれはそれで嬉しかった。勢いでも着てみて良かったと思う。
何だか楽しくなってしまった深知留はふざけて、スカートの両裾を摘んでみる。
そして、
「ごきげんよう、お姉さま」
鈴に挨拶をしてみせた。
ずっと昔、アルメリアの学生が先輩にそんな風に挨拶をしていたのを思い出したのだ。
もちろん深知留は鈴なら笑って流してくれると思ってやった。
が、
「…………」
鈴は目を丸くしたまま無反応だった。
瞬間、深知留は後悔の念に駆られた。
やってしまった……すぐにそう思った。調子に乗りすぎた、と。
きっと鈴はきっと自分に引いたに違いないと思った深知留は、慌てて謝りの文句を並べ始める。
「ご、ごめんなさい鈴さん。わたし、ただちょっとやって…………」
「いやぁん。もぉ最高!! 素敵よ深知留ちゃん! なんでそんな挨拶まで知ってるの!? わたしこんな妹が欲しかったのよー!!」
――ただちょっとやってみたかっただけです
深知留の懺悔の言葉はまたもや鈴の絶叫に呑み込まれた。
どうやら鈴は深知留の行為に引いたわけではなく、いたく感動したらしかった。
「ねぇねぇ深知留ちゃん、今度は“鈴お姉さま”って言ってみて。それから、それからね……」
すっかり気に入ってしまった鈴は、それからいくつもの言葉を深知留に言わせてはキャッキャと声を上げて楽しんでいた。その姿があまりに無邪気で楽しそうで、深知留はついつい一緒になって遊んでしまった。
それからどれほど経った頃だろうか、
「二人で楽しそうだね」
そんな声が突然聞こえた。
深知留が慌てて声のした方を見れば、部屋のドア付近には笑いが堪えられないといった様子の雅が立っていた。