「み、雅さん!!」
「あらあなた、お帰りなさい」
 悠長に雅を迎え入れる鈴とは反対に、一気に現実に引き戻された深知留は慌てふためく。
「随分面白い遊びしてるね。着せ替えごっこ?」
「そうなの。クローゼットの中で探し物してたら出てきたのよ。だから深知留ちゃんに着せてみたの。スカートもミニ丈で可愛いでしょう?」
 鈴に言われて、雅は深知留の姿を改めてマジマジと見る。
「ホントだ。鈴と深知留ちゃんとじゃ身長差があるからな。膝丈も清楚で良いけどこのくらいのミニも魅力的だね。オジサンはミニの方が好きだな」
 雅はどうでもいい感想を添えながらフフッと笑った。
 鈴もやはり笑っているが、その一方で約一名複雑なのは深知留だ。
 鈴と二人だけで遊んでいるうちは良かったが、流石に雅が来た今これ以上はならないと思う。
「あ、あの鈴さん、ありがとうございました。わたしもう着替えますね」
 遊びの時間はお終い、とばかりに深知留は焦ってそう言った。
 しかし、
「あらまだ良いじゃない。それに、夏服もあるからこれも着てみない?」
 鈴は了承するどころかその手に夏バージョンのセーラー服を持ち、新たな提案を出した。
 だが、それはならんとばかりに深知留はブンブンと首と手をいっぺんに振る。
「もう十分です! 十分楽しめましたから! それに、雅さんも帰ってきたことですし……流石に人前でこの格好は恥ずかしいって言うか…その……ね?」
 頼むから止めてくれ、とばかりに深知留は請うような目で雅を見つめた。
 が、
「え? 俺は構わないよ。深知留ちゃん可愛いし、面白そうだし」
 返ってきたのは深知留の思いを打ち砕く物だった。
 そんな深知留を余所に、雅は「それより」と話を続けた。
「深知留ちゃん。鈴がお姉さまだったら、俺はお兄さまでしょ?」
「え……?」
 振られた頓狂な話に、深知留は思わず耳を疑う。
「ほらほら、呼んでみて?」
「いや……その……」
「俺、昔から妹が欲しかったんだよ。だから、呼んでみて。“お兄さま”って」
 何の冗談を……と思った深知留であったが、どうやら雅は本気のようだった。
 証拠に、その顔は笑っているが雰囲気はなぜか真剣である。
「何? 鈴には良くて俺は駄目なの? 何かそれって疎外感。深知留ちゃんもしかして俺のこと嫌いでしょう?」
「そうじゃなくて……ですね」
「じゃあ、呼んでごらん? そうだ、せっかくだから“お帰りなさい、お兄さま”って言ってみて」
「…………」
 諦める気配のない雅に深知留は言葉に詰まる。
 だって鈴の時とは訳が違う。さっきは本当におふざけで調子に乗って呼んだだけだ。それをこんな風に面と向かって真剣に言われると、何だかとっても気恥ずかしい。それに、環と良く似た顔で言われれば尚更だ。
「いや、あの、それはちょっと……」
 深知留は羞恥で頬を赤らめながらやんわりと断る。
 しかし、
「一回。一回でいいから。ね?」
「でも……」
 深知留は困った顔で目の前にいる雅の顔を見上げる。
「お願い。こんな事、他には頼めないだろう?」
 深知留が押しに弱いのを知ってか、雅はさらにプッシュをかける。
 やがて居たたまれなくなった深知留はその首を縦に振らざるを得なくなる。
「じゃあ……一回だけですよ? 雅さん」
 一体全体何でこんな事になってしまったんだろうと、深知留は彼の顔を見ながら小さく溜息を吐いた。
 そして、
「お帰りなさい、お兄さま」
 深知留なりに最大限に気取って請われた台詞を言ってみた。
 直後、
「……良い、良いよ深知留ちゃん!! やっぱり妹欲しかったなぁ」
 雅は満足したのか、何かを噛みしめるように言った。
「でしょう? 可愛い妹ができた錯覚に浸れるのよ。なんだか癖になっちゃうの」
 今まで黙って事の行く末を見守っていた鈴が力説し始める。
「深知留ちゃん、じゃあ次……」
 一回だけって言ったのに……そう思いながらも、そのまま深知留が彼らのオモチャになったのは言うまでもない。
 それからしばらくして、深知留が雅に請われて何度目かの「お兄さま」を言った時だった。
 いい加減言い過ぎて深知留も羞恥など無く既に慣れていた頃、ふと感じた視線に深知留はゆっくりと部屋の出入り口を見やった。
 その瞬間……
(――――!!)
 深知留はその場で凍り付いた。
 気づけば、雅が入ってきたまま閉め忘れたドアの外には、環が立っていたのだ。
 何だか複雑な顔をして彼はそこに立っていた。
「兄さん、義姉さん……そろそろ深知留を返して貰って良いですか?」
 環は静かに言葉を紡いだ。
「あーあ。深知留ちゃんお迎えが来ちゃった」
 雅がそう言うと、鈴も「あら残念」と肩を竦めた。
 深知留が慌てて時計を見れば、環に論文を見てもらうと予め約束してあった時間から既に三十分が過ぎていた。
 深知留はつい夢中になって時間をチェックし忘れていたのだ。
 マズい……と思った深知留は、今の自分の支度など忘れて大慌てでドア口に立つ環に駆け寄った。
「ご、ごめんなさい環さん。わたしついウッカリしちゃって……お待たせしましたよね!?」
 深知留が必死に謝るも、環の視線は彼女の顔とはどこか違うところを写している。
「あの、環さん? 怒ってます?」
 深知留が不思議に思って尋ねると環は怖ず怖ずと口を開いた。
「深知留、君……その格好」
「え? ……あ! いや、その…これは……ちょっと着ただけで、深い意味は……すぐ着替えて行きます!」
 指摘されてようやく自らの状況に気づいた深知留はそのまま踵を返した。
 が、その腕が不意に捕まれる。
「別にいい、そのままで……構わないよ」
 深知留は捕まれた反動で振り返る。
「その……時間ももったいないし、もう行こう深知留」
 環はそう理由を付けると、そのままセーラー服姿の深知留をつれて兄夫妻の部屋を後にした。
「環さんもまんざらじゃないわね、あの顔」
 環と深知留が部屋を去った後、鈴はクスリと笑みを零した。
「そりゃ仕方ないよ。コスプレは男のロマンだから。まぁでも、環の場合は深知留ちゃんがコスプレしてなんぼだろうけどね」
「あら、お熱いこと。妬けるわね」
「今更何言ってるの。鈴だって見てたら分かるだろ? 深知留ちゃんは今までアイツが連れてた女とは別格…そうだろう?」
「確かに、ね。……仕方がないから、夏服はまた別の日に着て貰うことにしましょ」
 鈴は先ほどまでここにいた深知留を思い出しながらフフッと笑みを零した。



 ◆◆◆



 深知留は環に手をつながれたまま部屋へと向かって歩いていた。
「ねぇ、環さん?」
 深知留は数歩前を歩く環にふと話しかけた。
「環さんも、妹が欲しかったですか?」
「突然……どうした?」
 環は一度足を止めて深知留を振り返る。
「さっき、雅さんがそう言ってたんです。だから“お兄さま”って呼んでみてって」
 お兄さま、と呼ばれた時の嬉しそうな雅の顔が自然と思い出される。
「だから、環さんもそうなのかな、と思って」
「そうだね、いたらいたで可愛いだろうけど……じゃあ、そう呼んでって言ったら深知留は呼んでくれる?」
 冗談交じりに投げかけられたその問いかけに対して深知留は「うーん」と首を捻った。
「でもわたしと環さんだと……何だかちょっと兄妹って感じじゃないんですよね。お勉強見てもらってるのはまだしも……うーん」
 深知留は徐に環の姿を上から下までくまなく見た。彼は既にネクタイを外し、ジャケットも脱いでいるがスーツ姿の名残がある。
 深知留はそれをしばらく見て、
「なんだか、先生と生徒みたいですよね」
 という結論に至った。
 セーラー服にスーツ姿、尚かつ勉強を見てもらっていたらそれが王道だろうと自己満足しながら。
 そして、
「いつもありがとう、環先生」
 ニコリと笑って見せた。
 その直後、なぜか環は突然深知留の手を離した。それはまるで振り払うかのように。
「た、環さん……?」
 そのあまりの勢いの良さに驚く深知留に、環は「ごめん、電話、するところがあるんだった」と独り言のように呟いて、早足にその場を去っていった。
 残された深知留は「ん?」と事情が飲み込めないまま、不思議そうな顔で環の後ろ姿を見送る。
 なぜ環が去って行ったのか……それは、大人のジ・ジョ・ウ。


−おわり−
※あとがきもどきはこちら

あ、見つかっちゃった。