第4話

 突然の出来事に琴莉はビクリと肩を震わせ、その衝撃で涙も思わずピタッと止まる。
 その声の主はもちろん瑛斗で、琴莉が泣き濡れた瞳で恐る恐る彼を見やれば……
「単なる妹としか思ってない女に俺が手なんか出すかよ! お前はそんなこともわからないのか!?」
 言うなり瑛斗は再び琴莉の唇を奪った。
 しかも今度のそれは触れるだけのものではなく、深く貪るように深いものだった。
「ん、ん――――っ!」
 琴莉はすぐに抗議の声を上げるも、それは無惨にも掻き消されてしまう。
 それからそう時間が経たずに琴莉の呼吸は乱され、やがて抵抗もしなくなった。キスだってさっき初めて経験した彼女が、そんな激しい物に耐えられるわけがないのだ。
 それでも、
(あれ……そーいえば、お兄ちゃん……さっき、何て……言った?)
 琴莉は霞みそうな意識でそんなことを考えつつ、しかも今何が起こっているのかも理解しようとし……もはや思考回路はパニック寸前だった。
 だが、キスが深くなるにつれてそんなことはもうどうでも良くなってしまって、呼吸の仕方さえわからなくなった琴莉はやがて思考回路と共に意識も手放した。


 ◆◆◆


 カタン、という物音に琴莉の意識は浮上する。
 ゆっくりと目を開けば、目の前にはよく知る顔が間近に。
「お兄……ちゃん……?」
「ん? 目、覚めたか?」
 琴莉は壁を背にした瑛斗に抱かれる様にして眠っていた。
「キスくらいで気失うなよ」
 フッと笑う瑛斗に琴莉は今までのことを走馬燈の様に思い出し、頬を上気させながら彼の腕から逃れようとする。
 が、
「逃がすかよ」
 瑛斗の腕が逃げる琴莉の体に絡みつく。
「いいからちょっと話聞け。お前が何を誤解してるのか、大体想像が付いたから教えてやる。今日見たあの人、菜々子(ななこ)さんって言ったら分かるか?」
 与えられた固有名詞に琴莉はすぐに記憶の中を検索する。
「……それって、もしかしてお姉ちゃんの……」
 ある人物とその名前が琴莉の中で一致する。菜々子というのは確か、有瑛の小中高の同級生で親友だ。まだ琴莉が小学生だった時に、何度か一緒に遊んで貰ったことがある。当時から、同級生の中でもずば抜けて綺麗な人だったのを琴莉は思い出した。
「一昨年結婚して、今は旦那も子どももいるよ。……誰が俺の子だよ。しかもできちゃった婚? 随分妄想が暴走してたな、お前は」
 確かに冷静になってみれば、与えられたキーワードだけで我ながら相当な妄想を繰り広げてしまった様だと琴莉は後悔する。だが、それほどまでに追い詰められていたともいう。
 それでも、琴莉は何だか急に居たたまれなくなって瑛斗から思い切り視線を逸らした。
「で、なんで俺が彼女と一緒にいたのか気になるんだろう?」
 琴莉はそれにすぐには答えなかったが、もうここまで来たら……と素直にこくんと頷く。
「来月、琴莉の誕生日だろう? お前それでいくつになる?」
「二十歳だけど……」
「もう大人だな。大人になったらお前は何になるんだ?」
 瑛斗は何か言いたげに微笑んだ。
 その瞬間、琴莉は何かを思い出したように「あ……」と声を漏らした。
 忘れもしない、小さい頃の夢。当時はまるで口癖の様に毎日言っていた夢――……
「……お兄ちゃんの……お嫁さん」
 琴莉はゆっくりと顔を上げ、目の前の人物に怖ず怖ずと告げる。
「で? それ、なってくれるのか?」
「…………え?」
 突然のことに呆気にとられた琴莉が間の抜けた声を出せば、瑛斗は何だか少し拗ねた様な顔を見せる。
「なんだよ。嫌なのか?」
「そうじゃないけど……。だって、お兄ちゃんいつも誤魔化してたじゃない……。わたしがいくら好きだって言っても……嫌だとは言わなかったけど、肯定もしなかったし…………」
 琴莉がぽつりと本音を漏らすと今度の瑛斗は一瞬困った様な表情を見せ、すぐに照れた様に頭をポリポリと掻く。
「まぁ、それに関して否定はしない。……俺だって色々考えてたんだよ。それを……本気にして良いのかどうか、な。単に琴莉がそういうのに憧れてるだけで、ただ身近な俺相手に言ってるだけかもって思ったりしてさ」
 瑛斗は一度言葉を切ると琴莉の顎を掬った。そして「でもな……」と言葉を重ねる。
「本当はずっと思ってた。琴莉が大人になってもまだ同じ夢持ってるなら、俺も同じ夢を見ようって。……いや、そりゃ単なる言い訳だな。大人になったらお前を嫁にするって昔からずっと決めてた」
 それから降ってきたのは本日三度目の口づけ。
 触れるだけの短いそれを終えると、瑛斗は徐に琴莉の左手を取った。そして、その薬指に可愛らしい指輪がはめられる。
「とりあえず、エンゲージの前の予約……してもいいだろう? 琴莉、あれだけ豪快に告白してくれたもんな」
 その言葉で思い出されるのは先ほどの八つ当たりまがいの告白。琴莉は思い出したくないものを思い出して若干顔色を悪くする。それを見ながら瑛斗はクスリと笑みを零した。
 だが琴莉は、同時に嬉しさも堪えきれない様で、はめられた指輪をジッと見つめる。
「可愛いだろう? 奈々子さんのデザインだよ。彼女さ、今ジュエリーデザイナーやってるんだ。だから姉貴通して頼んで、作って貰った。今日はそれを受け取りに行っただけだ。……それでお前の誤解は全部解けたか?」
 琴莉はもう何も言うことができなくて、うんうんとただ何度も頷いた。
 瑛斗はそんな琴莉の頭をクシャリと撫でてやる。
「バーカ。もう泣くなよ」
 いつの間にか零れ落ちた涙――先ほどまでのものとはまるで違うそれを瑛斗に拭われれば、堰を切った様にポロポロと流れ落ちる。
「お兄ちゃ……わたし……わたし…………」
 琴莉はしゃくり上げながら、何とか言葉を紡ごうとする。
 そんな彼女に瑛斗が「どうした?」と問えば、
「ごめん……なさい。それから……わたし、お兄ちゃんが……大好き…………」
 琴莉は泣き笑いのような顔でそう告げた。
「知ってるよ。でも、こういう時はなんて言うか知ってるか?」
 瑛斗の問いに琴莉は首をわずかに傾げる。
「愛してる、って言うんだよ」
 そう言うなり、瑛斗は琴莉の体を包み込むように抱きしめた。
「琴莉……愛してる。だから、俺のところへ嫁にこい」
「…………」
「返事は?」
 もはや言葉を発することのできない琴莉は、了承の意を伝える代わりにまるでしがみつく様に瑛斗に抱きつく。
 瑛斗はそれに、まぁ今はそんな返事でもいいかと思いながら震える彼女の背をゆっくりと撫でてやった。
 その時の瑛斗の手は温かくて、琴莉にとって本当に気持ちがよくて……気づけば彼女の心はとても凪いでいた。どうしようもないほど荒れていたのが、まるで嘘の様に……


No.4