「とりあえず、シャワー浴びてきます……」
そう言って項垂れた様子でバスルームへと向かった綺音を見送り、千堂はソファーに腰掛けスーツのジャケットから加熱式煙草を取り出す。
準備を終えて、ふぅっと呼気を出せば全身脱力する。
千堂がこんな風に煙草を吸うのも綺音の前だけ。いつもは絶対に吸わないし、残り香にも十分に気を付けている。
理由は簡単、このご時世嫌煙家を飾った方が仕事はしやすいから。以前は紙巻き煙草を愛用して紫煙をくゆらせていたが、世の中の流れに乗って最近加熱式にした。
もちろん、相手が愛煙家であれば併せて吸うこともあるが、この頃はまず間違いなく嫌煙家である方がうまくいく仕事は多い。禁煙しました、という手も有効だ。
思えば、千堂が愛煙家であるということも綺音には見抜かれた。
あれは大きな仕事を終えた後、綺音と二人で居酒屋に行った時のこと。あの時はまだ紙巻き煙草の愛用者だった。
食事のメニューを見ながら、
『千堂さん、煙草吸いたかったらどうぞ。吸ってくださって構いませんよ?』
綺音はサラッとそう言った。
それは、かなり断定をした言い方で。
だから、『何故俺が煙草を吸うと?』と千堂は思わず尋ねた。
すると綺音は答えたのだ。
『千堂さんの手、わずかですけどたまに煙草の臭いがするんですよ。以前何度かパソコンの使い方教えていただいたでしょう? その時に。だから、吸うんだろうなって。……煙草を吸う友達がね、言ってたんです。洋服とか髪とかは気を付けて臭いを消すけど、手は落としたつもりでも意外と残ってるって』
すごい観察力だな、と感心したのを千堂は覚えている。
元々千堂は、自分に良い人過ぎて疲れないか、と尋ねたところで綺音を侮れない女だとは思っていたが。
その高い身長とキリッとした顔立ちで綺音はそもそもの見た目も鋭い女、仕事のできる女、という印象を与える。ストレートに言えば見た目は完全にドS。
だから最初は、そんな女は一体どんな時に困った顔をするんだろうと千堂はおもしろ半分に綺音を構ってみた。
すると意外や意外、相当面白い反応を返したのだ。
特に、ちょっと浮上し掛けた頃に突き落とした時の悲壮感に溢れた綺音の顔といったら無い。
千堂は自分の変態趣味を認めるつもりはないが、あれだけは何度見ても良いものだと思う。
だってそれはたまらなく……
「可愛いんだよな……」
千堂は再び煙草を吸いながら独り言ちた。
先ほど綺音には本気にするなとからかったが、あれは紛れもなく千堂の本音。
面白い――その表現の方が嘘。
いつからだろう……千堂が綺音を恋愛対象として見始めたのは。
あれは確か、綺音が自分の本性を見破った後だった。
ある日のお昼時間、会社のリフレッシュスペースで河村と嬉しそうに喋る綺音を見た。
その時に、綺音が河村に想いを寄せているのが分かった。彼女を見ていればそんなの手に取るようにわかった。
その瞬間、なぜだか酷く落胆したのを覚えている。
綺音が自分に興味があるから自分の本性を見破った――そんな確証もない自信が千堂の内にはあったから。
それから千堂は、河村を追う綺音を追い始めた。まずは仕事のペアという大義名分のポジションを得て。
河村が万に一つも自分の方を向かないか、と願う綺音を隣でずっと見続けた。彼女がいつかこちらを振り向かないかと願って。
しかしそれも、そろそろ転機を迎えると千堂は知っていた。数日前、河村が上司に結婚の報告をしているのをたまたま聞いてしまったから。
ただ、それがこんな形でやってくるとは思わなかった。
正直言えば夕べ、千堂は彼女を抱くつもりなど無かった。
ホテルに連れ込み、ちょっと脅せば綺音は本気で嫌がると思ったし、それで千堂は彼女を返してやるつもりだった。「もう馬鹿なことするなよ」とでも説教して。
綺音が失恋の痛手から立ち直った頃、ゆっくりと落としに掛かればいいと思っていた。
だが、ホテルに入れば綺音は素直に千堂に体を預けた。
もちろん千堂は分かっていた。綺音が失恋して酔って投げやりになっているということを。
でも、綺音が自分に可愛くしなだれかかり、その反面で「いけないことをしている……」という背徳感に悩むその表情を見ていたら、千堂の理性は決壊した。
もちろん、彼自身に酒が入っていたのもある。
でも、気づいた時には綺音がベッドの中でどんな風に乱れて、どんな表情を見せてくれるのか、そればかりに興味が沸いていた。
結果――綺音は千堂が見境を無くすほどに魅惑的だった。
そのすらりとした裸体は付くところにはしっかりと膨らみが付いていて、くびれた腰の曲線も見とれるほどに綺麗だった。触れば吸い付くような肌にも魅了された。
綺音はその背の高さを気にしてか、常日頃猫背気味である。だから、千堂もそこまで彼女のスタイルがいいとは思っていなかった。もっとそれを前面に出せば良いのに、と思う反面、自分だけの秘密にしておきたいという独占欲も持つ。
また、啼かせて見れば普段の彼女からは想像も付かないような艶っぽさを持ち、特に、縋るように何度も何度も伸ばしてくる手を絡める取るのは快感だった。
綺音はただ何となくそうしているだけかもしれないが、千堂はまるで自分が求められているかのような錯覚に浸っていた。
綺音が自分の腕の中で乱れれば乱れるほど、千堂は綺音に狂った。
そんな中、時折見せる綺音の遠い目が千堂を現実に引き戻した。
――河村のことを考えている
千堂にはそう見えた。
失恋をしたばかりだから仕方ないと言えばそうなのだが、嫉妬心が沸々とわき出た。ならばそんなことを考える余裕など無くしてしまえばいいと、千堂は綺音を激しく責め立てた。
そうして、好いた女を一度抱いてしまえば、欲望は欲望を呼ぶ。
自分の女にしたい――可愛くて仕方のない綺音を、千堂はもはや手放すつもりなど無かった。だけど、可愛いから恋人にしたいなどとは、絶対、綺音には教えてやらない。
だって……そっちの方が面白いに決まってるから。もっと可愛い顔を見せてくれるに決まってるから。
千堂は喫煙を終えたそれをケースにしまうと、今まさにバスルームから出てきた綺音を迎え入れる。
彼女は随分と遠くから、尚かつバスルームのある区画から頭だけを出して千堂の様子を伺うようにこちらを見ている。
なぜなら、浴室に彼女のバスローブは無く、バスタオルしか無かったから。恐らく彼女は今バスタオル一枚という千堂にとって素敵な格好だろう。
そんな綺音に千堂は予め回収しておいたバスローブをぶら下げてみせる。
「綺、これ……欲しい?」
そう言えば、綺音はやはり困った顔をする。
千堂はそれを面白そうに見つめる。
(ほら、やっぱり可愛い…………)
絶対に口には出さない言葉を、独り思いながら。
―END―
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