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* 彼女の悩み 2 *
城田が一体何を言ったのか――芽子は理解に苦しむ。しかし、すぐにそれが冗談で、自分は軽く流さなければならないのだと理解をする。
「冗談やめてくださいよ、城田さん。嫌だなぁ、もう……」
「至って本気だけど?」
真面目な表情の城田に、芽子の言葉は遮られた。
この時、芽子は先ほどまで飲んでいた酒でいくらか酔っていたが、それでも頭は冷静に働いた。
酒に酔った男と女。時刻は深夜間近。
そんな時、男がこんな風に誘いを掛ける目的は――
芽子は遊び慣れてなどいないが、それでもすぐに分かる。
しかしながら、城田とそいういう関係になるつもりの無かった芽子はすぐに結論を出す。
「ごめんなさい、城田さん。わたし、恋人とじゃないと寝られません。ひと晩限り、とかいうのはちょっと……」
やんわりと断りの文句を並べた芽子に、城田はクスリと笑みを零す。
「その寝るって、セックス、って意味だろう?」
あまりにダイレクトな物言いに、芽子はやや頬を赤らめて城田から視線を外す。
「俺、そんなにガッツいて見えるか? 心外だな……」
「いえ、そういう意味じゃなくて……その、別に城田さんは……」
芽子は必死に言い訳を述べようとするがうまく口が回らない。
「あのな、俺は野崎さんの体が目的なわけじゃなくて、ただ、抱き枕してやるって言ってるの」
「え?」
「誰かが傍にいれば眠れるんだろう?」
「それはそうですけど……」
「だから、野崎さんが望む時に抱き枕になってやるよ。よければ一晩中傍にいてやる」
「でも……」
「それとも、俺じゃ嫌?」
「いえ……それは別に……」
――城田さんなら嫌じゃない
それは芽子の本音だった。
彼女にとって城田は兄のような存在で、普段から面倒を見てもらっている分一緒にいて安心できる。だからきっと一緒に寝て貰えれば安眠できることは間違いない。
だが……
芽子は不安そうな面持ちで城田を見やった。
その時、芽子は以前咲が言っていたことを思い出していた。
『男なんてね、隣に女がいて一晩中大人しく寝られるわけがないのよ。そりゃそうよね、生殺し、だもんね』
確かその時は、咲が生理中の時、一緒に寝てと彼氏にせがんだらせめて触るくらいは……とかで喧嘩になったとかならないとか、そんな話だった気がする。
神妙な面持ちで何やら考え込む芽子に、
「野崎さん、俺のこと信用できないわけ? だったら、絶対信用できること、教えてやるよ」
城田はそう言うと芽子に手招きをした。
誘われるまま芽子が城田に近寄ると、彼は芽子の耳元でそっと囁いた。
「俺、女に興味ないんだ」
「は……? え、えぇぇぇぇぇっっ!?」
驚いた、なんてもんじゃなかった。
もしかしなくても、芽子は城田の最大級のカミングアウトを聞いてしまったのだ。
「そ、そそそそれって…………」
「深くは言わない。想像に任せるよ」
慌てふためく芽子に城田は意味深な笑みを見せる。
「そういうわけだから、安心して抱き枕にすればいい」
「でも……でも、城田さんなんで?」
なぜ、この人はそんなことを申し出てくれるのだろう――それが芽子の正直な気持ちだった。それを察したのか、城田は再び芽子の耳元で囁いた。
「俺も不眠なんだ。誰か傍にいないと眠れない。野崎さんと同じだよ。つまり……似たもの同士、持ちつ持たれつだ」
◆◆◆
この日から芽子と城田の奇妙な関係は始まった。
今日はぐっすり寝たいな、という日に芽子は黄色い付箋を一枚、職場のパソコン画面の隅に貼っておく。もし都合が良ければ、城田がそれをピンクの付箋に、駄目な時は水色の付箋に貼り替える。
ピンクの付箋が付いた晩、芽子はお泊まりセットを持って城田の所へ行く。
一緒に寝る時は城田の家で――それは彼の提案だった。「彼氏でもない男を家に上げるのは嫌だろう?」と気を遣ってくれて。
それから早一ヶ月、最低週一回、多くて三回、芽子は城田の隣で心地よい睡眠を満喫してきた。
約束した通り、城田が芽子に手を出すようなことは無かった。芽子が寝返りを打って城田に触れることはあっても、城田が芽子に触れることは無かった。しかし、芽子が夢を見てうなされたりすると、城田は芽子をそっと抱きしめてくれ、彼女が安眠できるようにしてくれた。
そして昨日もまた、城田がピンクの付箋を付けてくれたので芽子は泊まりに来たというわけだ。
芽子はベッドの上でぺたんと座り、まだあまりはっきりとしない頭で瞬きを数回する。
「寝足りない?」
「……はい。このままずーっと寝潰したい気分です。城田さんがいてくれるとホントによく眠れるから」
芽子がそう言って笑うと城田もニコリと笑顔を見せてくれた。
普段仏頂面の方が多い城田のこんな顔は結構貴重だ。
「だったら今晩も来るか? 明日は土曜だし、野崎さんが望むなら寝潰してもいい」
「それはありがたいですけど、でも…………」
城田の嬉しい提案にも芽子の表情は冴えない。そんな芽子が心配になって、城田は少し身を起こして「どうした?」と尋ねた。
芽子はそんな城田をジッと見つめる。
「城田さん、本当に眠れてますか? 城田さん…その……女に興味ないんですよね? なのに、わたしが傍にいても眠れます?」
少し聞きにくそうに尋ねる芽子に、城田は一ヶ月前のことを思い出していた。
――女に興味ないんだ
彼女を安心させるために、確かに城田はそう言った覚えがある。そして、それを聞いて狼狽した彼女にその先は想像に任せると言い添えた覚えも。
城田はその記憶と芽子の言葉を織り交ぜながら一人あることに納得した。
芽子があの時から『城田さんは同性愛者』と思っているのだということに。
城田は不安そうな面持ちを見せる芽子の頭をくしゃりと撫でてやる。
「心配しなくていい。それに、言ったろう? 俺も、誰かが傍にいないと眠れないって。別に女には興味がないだけで嫌いって訳じゃないからな」
「だったら……良かった。じゃあ、今日も来て良いですか?」
「あぁ、好きにしろ。ほら、もう支度しろよ。お前、出かけるまでに時間が掛かるんだから」
芽子はそれに「はーい」と元気よく返事をすると、大きな欠伸をしながら寝室を出て行った。
城田はそんな芽子を見送った後、自らも大きな欠伸をする。
心配しなくていい――よくもそんな大嘘が吐けたものだと城田は自分で自分に感動を覚える。
芽子と寝る晩はほぼ一睡もできないのが城田の本音だ。
まぁそれも城田が普通の成人男性なのだから仕方のない話……――
城田は突然、フッとその顔に笑みを浮かべた。
思い出したのは、一ヶ月前女に興味はないと言った時の芽子の驚いた顔。
あれからすっかり城田に慣れ親しんだ芽子。そろそろその誤解を解いてもいい頃合いかもしれない。
――女に興味ないんだ
それには『野崎さん以外に』という続きがあるということを。
城田はベッドから立ち上がると大きく一つ伸びをし、
「今夜もまた寝られないな」
静かに独り言ちた。
しかしそれでもいいと城田はすぐに思う。
独り寝をするよりも、その傍に愛しい抱き枕を置いて眠れる方が余程幸せだと。
* 彼女の悩み 2 *