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* 好敵手ライバルの始動 4 *

「で、話があるってねぇ……」
 芽子と城田の間に夕べから今朝まで起こった出来事――それを一通り聞き終えた咲。今度は彼女が小さく一つ溜息を吐いた。
 今この瞬間咲は全ての事情を呑み込み、そして起こっている事態の真相を九割九分把握したのだ。そしてその結果、思い悩んでいる様子の芽子には大変申し訳ないが、咲には彼女が悩む意味が理解できなかった。
 だって……
 夕べ芽子が伊沢とのスケジュール調整中に城田が不機嫌になったのは明らかに嫉妬。それ以外の何でもない。
 好いた女が自分の隣で他の男とデートの予定を立てている――どう考えても怒るだろう。というか、それで怒らないなら咲が怒りたいくらいだ。
(でも、あんな冷静沈着なポーカーフェイスでも嫉妬心を剥き出しにするんだ……)
 案外人間臭いじゃない――咲は若干そんな感動も覚える。
 そのことがあってして『話がある』というのは、もはや城田が覚悟を決めたということだろう。昨日の帰り際、脅したのも少しは効果があったのかもしれないと咲は思う。
 恐らくここ二、三日で城田は芽子に告白をするはずだ。
 それが咲には手に取る様に分かるのだが、当事者の芽子は一体何が起こっているのやらサッパリという状況。
 これがもう少し勘の良い子で、城田が自分に気があるのかも……くらい察していれば、随分と違うのだろうが、芽子に関して言えばそれが全くないのでおかしな事になっているのだ。
 もっとも、今回は芽子の元々の鈍さに加えて城田が同性愛者と偽っているから、芽子は城田が自分を好きなどとは夢にも思わないのだろう。
 そこまで状況を把握すれば、
(これって……この子の思考回路を繋げるのに、少しお手伝いが必要なのよね? わたし、別にあの人に恩はないけど……)
 咲がその結論に達するのにそう時間は要らなかった。
 城田が近日中に告白をするのは十中八九間違いはないのだから、咲はこのまま放っておいても良いかとも思う。しかし、この落ち込み方を数日続けさせるのは忍びないという思いやりが勝つ。
「あのさ、芽子。一番根本的な話してもいい?」
「なに?」
「昨日、芽子は言ってたよね。彼といると安心するし、よく眠れるって。芽子はそれを彼が癒しの力があるからだとか言ってたけど、そうじゃなくて芽子が彼に心を許してるからじゃないの?」
「それは……まぁ、そうだけど……」
 咲の指摘を芽子は素直に認める。
 確かに、芽子が城田に心を許しているか否かと問われればそれは確実に“許している”だ。でなければ一緒に寝ること自体が無理だから。
「で、そんな彼と夕べから気まずくなっちゃって芽子は落ち込んでる。顔色が悪くなるくらいガックリと。それは何で?」
「だって……それは……もう一緒に寝てくれないかもしれないって思ったから……」
 芽子はポツリと答えた。
 その焦点はどこかに定められている訳ではなく、物思いに耽る様に宙に浮いている。
 芽子が思い出すのは昨晩突然怒り出した城田の顔。そして、突き放す様にして芽子を放した城田……
 あの時感じたなんとも言えない寂しさ――喪失感を芽子は今でも鮮明に思い出せる。
 あまりの心許なさに芽子は城田の背に触れようとしたが、拒絶されることが怖くて出来なかった。
 咲は思い詰める様な表情の芽子をただ黙って見ていた。
 そして、咲は提案した。
「じゃあさ、別に次の人探せば良いじゃない」
 突然のそれに芽子は思わず咲へと視線を移す。
「彼が駄目なら次。枕買い換えるのと一緒で、駄目になったなら次の新しいのにする。そしたら芽子は寝られるし、あの人がいなくなったって関係ない。そうでしょ?」
 咲の言葉を聞いた瞬間。芽子の胸がトクンと反応をする。
 契機となったのは――あの人がいなくなったって関係ない――その一言。
 咲の言う通り、ただ寝るだけなら別に城田でなくともよい。それは咲だって実家の母だって隣にいてくれれば眠れることは立証済みだ。
 だが、
 それでは何か足りない様な、どこか違う様な……芽子の中で得も言われぬ様な思いが生まれる。
「そんな落ち込むことないって。抱き枕になってくれる人なんて少し探せば山ほどいるわよ。芽子、自分が思ってるよりモテるんだし。だからもうどうでもいいじゃない、彼のことなんて。さっさと忘れちゃえば……」
「嫌!!」
 その時、芽子の声が咲の言葉を遮った。
 言ってしまってから芽子はその口元を押さる。それはまるで、自分の言葉に驚く様な仕草。
 だが、芽子は言ったことに後悔は無かった。
 だって……
 嫌、なのだ……。
 他の人では、嫌なのだ。
 芽子にとって抱き枕は城田が良いのだ。いや、もう城田でなければ駄目なのだ……
 咲の言葉を聞くうち、芽子の中で増殖して溢れかえったのはそんな気持ち。咲の言葉を聞けば聞くほど、理解すればするほど……城田以外では嫌だと芽子の心が悲鳴を上げた。
 最初はきっと城田じゃなくても良かったはずだ。言い方を悪くすれば、芽子は城田の好意を利用していただけだから。
 だが幾晩も共に過ごすうち、芽子はいつのまにか城田で無ければ受け付けなくなっていたのだ。それはきっと無意識のうちに。
 そんな城田は芽子が欲する時にはいつも傍にいてくれた。だからそれが当たり前になってしまって、昨日あんな風にあからさまに拒否をされて……芽子は初めて城田を失うことが怖いと思った。そして、自分がいつの間にか彼を求めていることを知ったのかも知れない。
「わたし……嫌、なの……。他の人じゃ、嫌なの……」
 眉間に皺を寄せ、まるで泣きそうな顔をする芽子を咲はただ優しい顔で見ていた。
「やっと気づいた?」
「え……?」
 咲の言葉に芽子はその目を見開く。
 そう、咲はワザと芽子に意地悪を言ったのだ。少し可哀想な気もしたが、鈍い芽子にはこの程度の荒治療も必要だと割り切って。
「好きなんでしょ? ……彼のこと」
 今度の問いに、 芽子は数拍の間をおくがしっかりと首肯する。
 城田を失いたくないという感情。彼でなければ受け入れられないという思い――それは、そう……どちらも“好き”の延長にあるもの。
 芽子はようやく自分の気持ちを受け止める。
 だが芽子は「でも……」という言葉とどこか落ち込んだ様な暗い表情を続けた。
「わたしが思っても……駄目だよ」
「なんで?」
「だってあの人は……その……女のわたしがこんな気持ちになっても……迷惑だよ」
 思い詰める芽子に対し、咲は「あぁそのこと」と思い出す。恐らく芽子は城田の性癖に関して心配をしているのだ。
 だがそんなことは全く以て問題じゃない。だって、それは城田の嘘。
 でもその事情を知らない芽子にとっては深刻に悩むのも仕方のないことだ。
「あのね芽子、そのことだけど……」
 それは咲が言いかけた時だった。
 突然ガチャリと音がしたかと思うと、コピー室のドアが開く。
「芽ちゃん、コピー終わった? 終わったら、まだ頼みたいことがあるんだけどいいかな? ……あ、小見山さんと一緒だったんだ」
 入ってきたのは伊沢だった。
 そのあまりのタイミングの良さに、咲は心の中でチッと舌打ちをする。
 咲は一瞬で全てを悟った。
 恐らく……伊沢はこれまでの話を聞いていたに違いない。一体どこからどう聞いていたのかは分からないが、このタイミングが何もかもを物語っていた。
「コピーこれだね? ほらほら、早く行くよ芽ちゃん」
 伊沢は芽子大量のコピー用紙と芽子を回収すると、さっさとコピー室を出ようとする。
 そして部屋を出る間際一度だけ咲を振り返る。
「じゃ、小見山さんお先に」
 その時の伊沢の顔には不敵な笑みが浮かべられており、それはまるでしてやったりという顔であった。
 咲はそんな二人の背を見送りながら、コピー機を蹴り飛ばさずにはいられなかった。

* 好敵手ライバルの始動 4 *

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