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* 彼と彼女のすれ違い 3 *

 会社近くに最近できた、少しお洒落な今時の居酒屋――そこに芽子はいた。
 伊沢には申し訳ないが、やはり芽子はあまり乗り気ではなかった。流石に今日はもう断り切れなかった……というのが本音だが、何度も誘ってくれる伊沢を無下にし続けることにも罪悪感を覚えていたし、何より、もう悶々と考えることに疲れてしまった芽子は、気分転換にでもなれば、と足を向けてみたのだ。
 店に入って店員に待ち合わせであることを伝えると、すぐに伊沢が待つ席に案内された。
 そこは各テーブルが簡単に仕切られた個室風の席で、芽子が席に着くとすぐにグラスに注がれた生ビールが用意された。
「じゃあ、お疲れ様!」
 伊沢の明るい声と共に、グラスが二つカチャリとぶつかり合う。
 二人がビールを煽り始めると、あらかじめ伊沢が注文していたと思われる料理が次々と運ばれてきた。
 案の定というべきなのか、気分転換をしたいという芽子の思惑通り、伊沢は食事とお酒を楽しみながら、次から次へと話題を振って芽子を楽しませてくれた。
 ニュースの話から会社の噂話まで、芽子の興味を引きそうなことを色々と話してくれた。
 そのうち、伊沢は自分の家族のことを話してくれた。男三人兄弟の真ん中で、兄とは年が近いが、まだ大学生の弟がいるとか、実家は千葉の海辺で犬と猫を飼っているとか。
 そんな話を聞くうちに、芽子は無意識に城田と伊沢を比較していた。
 芽子と一緒にいる城田はあまり喋らない。いつも芽子が話す率の方が高い。芽子もそれほどお喋りなわけではないので、お互い無言ということもよくある。
 ただ、二人が一緒にいる理由はあくまでも睡眠のためであり、世間一般のデートとは訳が違うので、お互いにそれほど話すこともないと言った方が正しいのかもしれない。
 しかし、無言と言っても、ただ膝を突き合わせてじっと黙っているわけではない。お互い本を読んでいたり、タブレット端末でインターネットサーフィンをしていたり、たまには二人でDVDを鑑賞することもある。
 そんな“無言の時”の共有なので、落ち着きを感じることはあっても、苦痛はないのだ。
 比べて、伊沢とは話が途切れると、芽子は少しばかりの居心地の悪さを感じていた。
 伊沢とは仕事上の付き合いが主で、大勢で飲みに行くことはあっても、こうして二人きりでプライベートを過ごすのは初めてのことだから、ただ慣れないだけなのかもしれないが。
「……って、芽ちゃん聞いてる?」
「え……?」
 ふと振られた話に、芽子はグラスのお酒を飲むことで伊沢から視線を外し、少しごまかした。
「……聞いてますよ? 弟さんに美人な彼女ができた話でしょ? しかも年上の」
 芽子は記憶を辿りながら、話の内容を要約して伝える。
「そうそう。あいつには勿体ないほど美人でさ……」
 再び話し始めた伊沢を見ながら、芽子が考えるのはやはり城田のことだった。
(城田さんて……兄弟いるのかな)
 そんなこと。
 ふと冷静に考えてみれば、芽子は城田のことをあまりよく知らなかった。
 兄弟はもちろん、親のことも知らない。知っているのは実家が神奈川にあるとか、誕生日が自分と二ヶ月違いとか、血液型がAB型とか……別にどれも最近改めて知ったわけではなく、仕事上の付き合いで、他愛もない会話から知ったか、城田が誰か別の人と話しているのを小耳に挟んだか、だ。
(わたし……城田さんのこと、何も知らないんだな)
 そう思った直後、芽子はなんだか無性に気持ちがざわめいた。
 そして、
(だって……恋人じゃないもん。知らなくて、当たり前だよね……)
 芽子はそのざわめきを押さえるように心の内で言葉を重ねたが、今度はそんな自分に少しイライラした。
 そんな時だった。
「そういえば、話は飛ぶんだけど、今日の城田さんさ……」
 伊沢が突然振った話題に、芽子は無意識に一瞬顔を歪めてしまった。芽子とすれば、今城田の話をするのは避けたかった。しかし、拒否の理由を尋ねられても、うまく答えられる自信もなかった。
「……城田さんがどうかしました?」
 芽子は何食わぬ顔を装って伊沢に尋ねた。
 しかし、伊沢は芽子の表情の変化を見逃さなかった。
「今日の城田さん、なんだか殺気立ってたよね」
「会議で忙しかったからじゃないですか?」
 芽子の返答に伊沢は同意せず、うーんと首をかしげる。
「言い方は変だけど……芽ちゃんに対して、機嫌が悪かったような気がするんだけど?」
 伊沢に言われて、芽子は会議の準備をしていたときのことを思い出す。
「わたしの……動きが悪かったからです。きっと」
 いつになく機嫌の悪い城田の顔が、芽子の脳裏に思い起こされる。
 しかし、
「そうじゃないよね」
 伊沢が即座に否定した。
「俺が芽ちゃんにかまってたからだよ」
「え……?」
 予想外の伊沢の言葉に、芽子の口から声が漏れる。
「だから、嫉妬なんじゃないの?」
「……嫉妬?」
 それは、芽子が伊沢の言葉を復唱した時だった。
 トクンと一つ、芽子の胸が鳴る。
 それに共鳴するように、どこからとも無く生まれたざわめきが一瞬のうちに芽子を支配する。
「そう。俺と芽ちゃんが仲良くしてるのが気に入らないってこと」
「…………」
 嫉妬――その言葉が全てのトリガーだった。
 ざわめきに支配されるのと同時に、今、まさに芽子の中でバラバラだったパズルのピースがはまりつつある。
「もしかして……芽ちゃん狙われてるかもよ?」
 そんな芽子を余所に、伊沢は少し戯けてそう言った。
 しかし、芽子にとってそこから導き出された答えは別のもの。
(わたしが……狙われてる? ……違う。そうじゃない……)
 芽子の脳裏に、今日一日の出来事が早送りで再生される。
 会議の準備で伊沢と話し込んでいた時、伊沢から食事に誘われていた時……いずれも城田が途中で入ってきた。その時は偶然と思っていたが、今は違う。
 そして、そもそも城田が夕べ明らかに機嫌を悪くした時、芽子がしていたのは伊沢と食事に行くためのスケジュール調整……
 芽子は今、夕べも今日も、城田が機嫌を悪くする理由が確かに存在したのだと理解する。
(そうだ……城田さんは…………)
 芽子が一つの結論を導き出すのに、そう時間はいらなかった。
 パズルの最後のピースがはまり、
(伊沢さんのことが……好きなんだ…………)
 芽子はそこに行き着いた。
 あまりにも呆気ない終幕だった。
「……わたし、ちょっと……すみません」
 明らかに顔色を悪くした芽子は、やっとそれだけを絞り出し、鞄から取り出したハンドタオルで口元を押さえるようにして席を立った。
 伊沢はそんな芽子の後ろ姿を意味深な笑みを浮かべながら見送る。
「へぇ、喜ばないんだ。なんかちょっと……意外な反応、かな?」

* 彼と彼女のすれ違い 3 *

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