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* 彼と彼女のすれ違い 5 *
結局、ほぼ一睡もできないまま芽子は水曜日の朝を迎えた。
その日は、会議や外出予定など目立ったことがなかったのがせめてもの救いだったのかもしれない。自分でも分かるくらい、つまらないミスも多かった。
昼食の時間には、同じフロアの後輩達が外食に行きましょうと誘ってくれたが、急ぎの仕事があるので、と芽子は嘘を吐いて断った。睡眠不足からくる食欲不振で、普通の食事は疎か、とてもじゃないが外食などする気分にはなれなかった。
ちなみに、この日は伊沢がほとんど席にいなかったのも芽子にすれば助かった。朝、少し挨拶を交わし、芽子が昨日のお礼を再度伝えた程度で伊沢は忙しく出掛けていった。スケジュールボードには出張先から直帰と書かれていて、伊沢には失礼だが、芽子は顔を合わせずに済むことをありがたいと思ってしまった。
そのままその日は、午後もまともに仕事にならず、芽子は今か今かと終業時間を待つようにして仕事を早々に切り上げて帰宅した。
相変わらず食欲はなく、帰り道に寄ったスーパーでなんとなく食べたいと思えるような物を買ってはみたが、数口箸を付けただけで全て冷蔵庫行きになってしまった。
芽子はリビングのソファに深く腰掛け、大きく息を吐いた。
(疲れちゃったな……)
睡眠不足のせいか、体は自分でも重いと感じるほどにグッタリしていたが、眠気はまったくなかった。
かといって、考えなければならないことも多くあるのに頭はまったく回転しない。
そのままソファーに横になった芽子は、夜のニュースを見ながらほんの少しウトウトはしたが、なんとなく夢見心地でキャスターの話したことはほぼ覚えており、寝るという行為には結びつかなかった。
そのまま時間ばかりが過ぎていき、気分転換にぬるめのお風呂にもゆっくり浸かってみたが、眠れそうな気配はなかった。
十一時を過ぎた頃、芽子は新着メールをチェックした。今日は朝から何度となくしている。もしかしたら、城田が何か返事をくれるのではないかと期待して。
しかし、そんな期待は抱いても簡単に裏切られる。
城田からの音沙汰はなかった。
出張中だから当たり前……と芽子は自分に言い聞かせながらも、言いようのない不安に襲われていた。
そんな時、芽子の手でスマートフォンがメールの受信を告げた。
慌てて液晶画面を確認すれば、そこには伊沢の名前があった。
その時、芽子はこぼれるため息を我慢できなかった。
気を取り直して本文に目を通せば、芽子の体調を心配する文字が綴られていた。今朝顔色が悪かったのは二日酔いだったのか、とか、風邪を引いたのか、とか……それぞれの文章には心配をする顔文字も一緒に添えられていた。
(こういう人……好きになればよかったのにな…………)
不意に、芽子の中でそんな思いが生まれた。
(こういう人好きになれば……辛い思いしなかったのかな?)
(なんで城田さんを……好きになっちゃったんだろう…………)
思いと同時に、彼女の瞳からは大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。
何が悲しいのか、何が辛いのか、芽子は自分でもよく説明できなかったが、次から次へとこぼれる涙にむせび泣いた。
◆◆◆
時は少々遡り――出張中の城田は、滞在しているホテルのエントランスロビーの一角にいた。
日中の仕事を終え一度ホテルに戻り、これから十八時半に支社の担当者との待ち合わせで、十九時からの取引先との接待会場へ向かう。
十八時半よりも少し余裕を持ってエントランスロビーにいた城田は、スマートフォンを取り出してメール画面を開く。
見るのは、仕事のメールでも何でも無く、火曜日の夜に送られてきた芽子からのメール。
『急な出張お疲れ様です。またご連絡お待ちしてます』
何の変哲も無い、業務的なメール。
幾度となく読んだメール――それを再度読んで、城田は静かに一つため息を吐いた。
自分だって、出張の知らせというただそれだけを業務的に送ったのだから、何も期待してはいけないのは分かっていた。
でも、芽子のたった二文の返信に、城田は無駄に打ちひしがれる。
(あいつは……俺なんていなくても平気なのかもな)
そんな思いを振り切るように、城田は、そのメールに返信ボタンを押す。
お疲れ様、の言葉のあと、仕事の調子はどうだとか、夜は眠れているのかとか、眠れないなら小見山さんに頼んでみろとか、色々と文章を打ち込んだ。そして最後に、伊沢と食事に行ったのか、と打ち込み、一呼吸を置いてその文章のみを削除した。
そんなことは、城田が聞くべきではないし、立ち入るべきではない。
気にならないかと言ったらそれは嘘になる。逆に、自分が出張で不在にしている間に、二人が急接近してしまわないか気が気では無い。
しかし、そもそも城田は現状、芽子にとって恋人でも何でも無い。ただ安眠を確保するための抱き枕なのだから、保つべき距離感が存在するのだと城田は自身に言い聞かせた。
こんなことなら、月曜日の夜、芽子を無理矢理にでも起こして決着を付けてしまえば良かったと思う。
そして、以前咲の言っていた台詞――“いい歳をした女が男と曖昧な関係を続けていても、何一つ良い事はない”というそれが、今まさに自分を苦しめていることなのかもしれないと思った。
ひとしきり、メールに文章を打ち込んだ城田は、送信ボタンを押すところで行動を止めた。
ここまで来て、これを本当に送るべきなのか悩んだからだ。自分のメールを冷静に読み返せば、なんだか奇妙な気がしたのだ。特筆して緊急の用件があるわけでもないのに、恋人でも何でも無い男が、夜、仕事も終わったような時間に送るべきものなのか、ふと疑問を感じる。
それでもなお、メールを送ってしまおうかどうしようか、城田が悩んでいると……
「城田君、お待たせ……道が混んでいてね。申し訳ない」
突然聞こえた支社の担当者の声で、城田はスマートフォンのホームボタンを押し、メール画面を落とした。
抱き枕でしかない相手に、こんなメールを送られても彼女はきっと迷惑だろう……そう自分に言い聞かせて。
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相変わらず、ほとんど眠れないまま木曜日を迎えた芽子は、もう心身ともにボロボロになっていた。目の下には、もはやコンシーラーでは手に負えないレベルの隈が鎮座している。好意を寄せている伊沢でなくても、誰が見ても体調不良が一発で分かるような状態だ。
城田の元に通い始める前も、芽子はかなりの不眠状態だったが、例えるならば、今はそれとは比較にならないほどだ。
それは、午前中の仕事をなんとかこなし、午後、芽子の抱えていた事務処理が一段落したときのことだった。
決裁待ちの急ぎの書類を整え、課長に印鑑をもらおうと書類を渡した直後、芽子の視界は暗転した。
「え!? ちょっと……野崎さん!? 野ざ…………」
驚いた様な叫ぶ様な声で課長が名前を呼んでいるのを聞きながら、芽子は意識を手放した。
* 彼と彼女のすれ違い 5 *