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* 彼の想い彼女の想い 2 *

「……じゃあ、芽ちゃん、またあとで連絡する。ゆっくり休んでから戻っておいで」
 初姫が入ってきたのをきっかけに、伊沢はそのままあっさりと処置室を後にした。
「ごめんなさい。邪魔は……してないつもりだけど。邪魔だった?」
 初姫は伊沢が完全に出て行ったのを確認してから芽子のベッドサイドにやってきた。そして、枕元に置かれていた体温計を回収し、小脇に抱えていた芽子のカルテに情報を記載する。
「いえ……邪魔ではないです。大丈夫です」
 正直、芽子は初姫が入ってきて助かったと思っていた。
 伊沢の問いに対し、ただ「無理です」「会えません」それだけを返せば良かったのだが、伊沢からの妙な威圧感を覚えてどう答えて良いのか迷っていたから。
 すると、
「嘘よ。わたし、ホントは邪魔したの」
 唐突に、でもさらりとそんなことを言った初姫に、芽子は思わずその目を見開いた。
 驚きの表情を見せる芽子を余所に、初姫は淡々とカルテへの記録を進める。
「ごめんなさいね。聞く気はなかったんだけど、この部屋に戻ろうとしたら話し声が聞こえて、入るに入れなくて……。様子を見ていた限り、貴女も困ってるみたいだったから、無理に割って入っちゃったわ。相手には悪いことしたかもしれないけど。貴女にとっても迷惑だったら謝るわ」
「いえ、あの……迷惑だなんて、そんな……」
 芽子は謝罪を受けることではない、と体の前で手を振った。
「だったらいいけど。ちなみに……何かあったなら聞くけど? 不可抗力で聞こえたところによると、男女関係の縺れって感じかしら?」
「…………」
 芽子は初姫の問いかけに自ずと俯いてしまう。
 初姫は書き終えたカルテをサイドテーブルに置くと、ベッドサイドに腰掛けて「脈を取らせてね」と言って芽子の右手首を取った。
 初姫はしばらくの間、自分の腕時計の秒針をじっと見つめ、一定時間が終わると芽子の手を離した。
 そして、再度カルテに記録する。
 続けて血圧も測定し、それを終えると初姫は改めてベッドサイドにパイプ椅子を引き寄せてそこに腰掛けた。
「それで? 悩みがあって、ストレスためて寝られなくて、今に至ったんじゃない? 彼、結構良い男だったのにね。でも、野崎さんにはそれを受け入れられない理由がある」
 話しかける初姫に、芽子は相変わらず俯いたままでいた。
 初姫は構わずに続ける。
「野崎さん、さっきの彼じゃなくて、誰か他に好きな人がいるんでしょ? しかも、何か表立って言えないような理由がある相手。なんて……単なるわたしの勘なんだけどね」
 それは、初姫の言葉が終わるか終わらないかの時だった。
「どうして……? どうして分かるんですか?」
 芽子は今まで落としていた視線を初姫に合わせ、思わず声を上げてしまった。
 芽子は驚いたような目で初姫を見つめる。
「あら。当たっちゃった? 強いて言えば……何となくかな? まぁ、当てずっぽうよ。そんなに深く捉えないで。わたし占いとか出来る訳じゃないから」
 初姫もまさか言い当てるとは思っていなかったのか、芽子の反応にあははと笑って見せた。
「で? 今、ちょっとなら話聞けるけど? 碧山先生は任せておけば勝手に診察進めるだろうし、さっきもう一人保健師が帰ってきたから、手も空いたし」
 初姫の申し出に対し、芽子は再び視線を落としてしまった。
 芽子は初姫の申し出をありがたいと思ったし、できれば話してしまいたかった。しかし、どうしてもネックになるのが、今自分が抱えている話をすれば城田の性癖をカミングアウトしなければならないということだった。
 そんな芽子の心配を察したのか、初姫は深い皺を寄せている芽子の眉間をツンとつついた。
「すっごい皺寄ってるわよ。痕になっちゃう。あのね……もし、他言を心配してるなら、わたしには職務上の守秘義務があるから安心して。そこらの噂話じゃなく、仕事としてきちんと聞くから。それに、別の人でもいいわよ? 臨床心理士が良ければ、来週には確か来る予定があるし予約入れておいてあげる。何なら、碧山先生でも……アレでも一応真面目に聞くと思うけど。たぶん」
 少し不安げに、たぶん、と言い添えた初姫がなんだかおかしくて、芽子はふにゃっと顔を緩ませた。
 そして、
「あの……三条さん、聞いてくれますか? 三条さんに聞いてもらいたいです」
 芽子はそうはっきりと伝えた。


◆◆◆


「野崎さん、もう自分でなんとなく結論が分かってるんじゃない?」
 話をひとしきり聞き終えた初姫はそう言った。
 初姫の配慮で、話を進める際に具体的な個人名を出す必要はないと言われた。もちろん、初姫が最初に仕事として守秘義務を守ってくれると言ったのもあるが、芽子は名前を伏せて気兼ねなく話を進められた。
 初姫に聞いてもらうからには、と、芽子はある日突然自分が一人で眠れなくなったところから、先ほどの伊沢との一件までをざっと話した。
 その上での、初姫の反応だった。
「わたしは実際現場に居合わせている訳じゃないから、細かいところまではわからないし、わたし自身恋愛ごとに長けている訳じゃないけど……とりあえず、野崎さんが思っている好きな人に告白するしかないと思うけど。このまま思いを秘めていても苦しいだけだし、かと言って、さっきの彼の好意を受ける気も無いんでしょう?」
 初姫の言葉に、芽子は無言で頷いた。
「じゃあ答えは一つ。断るものは断って、吐き出すものは吐く。その結論しかないと思うんだけど」
 今度の初姫の言葉に、芽子は頷かず、ただ初姫の目を見つめた。
 初姫は続ける。
「相手も話があるって言ってるんでしょう? だったら、こちら側の主張も聞いてもらえばいいじゃない。話があるって言うのは、まずはそれを聞くことも大事だけど、それに対して反応して悪いことはないと思うの。そこできちんと議論して、双方が納得する結論を出す。その結論が野崎さんにとって玉砕だとしても、スッキリはすると思うけどな」
 初姫の言うことは正論だった。更に言えば、“玉砕”というところまでも正解だ。
 その結論まで分かっているから、二の足を踏みたくなってしまうのだ。自分が傷つくことがわかりきっていて、そこに踏み出せるほど芽子は強い人間ではない。
「あのさ、野崎さん……」
 何も反応できず、更には俯いてしまった芽子の顔を、初姫はそっとのぞき込む。
「このまま現状維持は無理、野崎さんの気力も体力も持たない。それだけは、わたし凄く自信があるんだけど? どう?」
「そうだと……思います。でも……」
「玉砕する結論が分かってるのに、そこに行くのが恐い?」
 初姫は芽子の考えていることなどまるでお見通しのようだった。
「そうね……確かに恐いかもしれないけど、玉砕って決めつけないことね。人生、逆転満塁ホームランってこともたまにはあるから。どうせだったら、そっちに賭けてみるのも楽しいと思うけど。それに……玉砕したら、ベッドとタオルと、涙の水分補給にお茶くらい入れてあげるから、ここにいらっしゃい。タイミングが良ければ美味しいお菓子も。そういう逃げ道作っておけば、玉砕したって多少の辛さは削れると思わない?」
 そう言った初姫はまるで太陽のように明るい笑みを見せてくれた。
 芽子も、なんだかそれにつられて微笑んでしまう。
 仕事柄もあるのかもしれないが、初姫は芽子の欲しい言葉をくれる。以前、相談に来ていたときも、初姫に話せば解決する気がして通っていた。初姫は芽子にとって、咲とはまたちょっと違った、頼りになるお姉ちゃんである。
「ちなみに、さっき課長さんに頼まれたって職場の子があなたの貴重品とコートと一式、鞄ごと届けてくれたわよ。今日はもう帰って寝なさいって」
 初姫はそれから、人がいないと寝られないならここで少し寝てから帰りなさい、とも言ってくれた。隣の部屋は少し賑やかかもしれないけど、と。
 芽子はそんな初姫の優しさが嬉しくて、それに甘えることにした。
 その後、初姫は芽子を寝かせたベッドを改めて整えてくれると、照明を落として、二時間経ったら起こしに来ると伝えて部屋を後にした。初姫が出て行った時にカチャリと音がして、誰も入らないように鍵も閉めてくれたようだった。
 芽子はそのまますぐに眠りに落ちてしまった。

* 彼の想い彼女の想い 2 *

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