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* 彼の想い彼女の想い 4 *

「ン……ふっ……ぁ……」
 城田からの貪るような口づけを芽子は受けていた。
 何度も角度を変えられ、口の中を蹂躙され、舌を吸い上げるように嬲られ……そんな間も、城田は芽子の腕を放さなかった。
 おまけに、もう一方の手で後頭部を押さえられ、芽子はキスから逃げることさえできなかった。
 静かな部屋の中、重ねられる唇のリップ音とそこから漏れる二人の呼吸音だけが支配している。
 城田のキスが深くなればなるほど、芽子は何だか悲しい気持ちになっていった。
(なんで……こんなことに…………)
 これが、愛し合ってのキスならどんなにか嬉しいのに。
 しかしこれは、違う。きっと暴力なのだ。
 城田にとって、伊沢を芽子に奪られないための先制攻撃とでも言うべきか。伊沢を奪るつもりなら、もっと酷いことをするという見せしめなのかもしれないと、芽子は考えていた。
(なんで……どうして……)
 これでは玉砕よりも質が悪い。芽子は堪えきれずに目尻からほろほろと涙をこぼした。
 今起こっていることが怖くて、というよりかは、ただ無性に悲しくて……
 こんなに粗暴で怒っている城田を、芽子は見たことがなかった。彼はあまり愛想の良い方ではないが、芽子にはいつも優しくしてくれた。単なる仕事の先輩だったときも、抱き枕になると言ってくれたあとも……少し不器用な優しさが芽子は好きだった。
 まるで、そんなこれまでのことを全て打ち崩すように、城田は芽子を荒々しく襲っていた。
 そして、今まで芽子の後頭部を押さえつけていた城田の手が、芽子のカットソーを乱雑にたくし上げて胸の膨らみを包んだ時だった。
 一筋の涙が、城田と芽子の唇の間を濡らした。
 不意に感じた塩味に、城田はハッと我に返ったように芽子から唇を離してその身を起こす。そして、今まで掴んでいた彼女の腕も一緒に離した。
 その腕で、芽子は自らの顔を覆った。痛々しい真っ赤な痕が芽子の色白な腕にくっきりと残る。今までずっと成人男性の強い力で掴まれていたのだから、それも無理はない。
 そして、芽子は嗚咽を上げてぽろぽろと大粒の涙を流した。
 城田は、そこまで来てようやく、今自分が何をしでかしたのかに気づかされた。
「ごめん……恐い思いを、させた」
 しばらくして、城田は芽子の乱れた衣服を整えて抱き起こし、優しく抱きしめた。そして、赤い痕が未だに残る腕をそっとさすってくれる。
「わたし……わたし、邪魔しません。伊沢さんを……城田さんから、奪おうなんて思っていませんから……」
 芽子は未だに残る嗚咽で言葉を途切れさせながらも、静かにそう紡いだ。
 その直後、
「……何の話だ?」
 城田の声が漏れるようにこぼれ落ちた。
「話があるって……そういうことですよね?」
 芽子は目尻にある涙を拭いながら、尋ねた。そして、今まで自分が思っていたことを城田にぶつけた。
 同性愛者の城田が伊沢に想いを寄せているのを知っていること、その伊沢が最近芽子に好意を向けているのを快く思っていないのも気づいていること。それ故に、抱き枕になる契約も解除したいというのも分かっている、と、話があるのもそのことだと分かっている、と……
 そして、
「わたし、駄目だって……こんなの不毛だってよく理解してます。でも、わたし……城田さんのこと、好きになっちゃったんです」
 感情が決壊する――
 芽子は遂に押さえきれなくなった自分の感情を城田にぶつけた。
 これで全てが終わる…………
 芽子は分かっていた。
 そんな思いなど迷惑だと、しかも女である芽子に思われても困ると言われてジ・エンドだ。
 でも、もはや芽子はそれでもよかった。
 城田に恋敵と思われて恨まれるくらいなら、迷惑な感情を持っている相手として振られた方がまだマシだと思ったのだ。
 一度収まった涙が、感情の高ぶりと共に再び芽子の目頭を熱くする。
 言いたいことだけ言って、好きだと自分本位な感情をぶつけて、泣き喚いて……なんて迷惑な女だろうと芽子は自身でも思う。
 しかし、零れ始めた涙は止まらない。鼻水だって垂れてくる始末だ。
(どうして……どうして、上手にできないんだろう)
 本当は冷静に城田と話をするつもりだった。
 初姫が言ってくれたように、きちんと議論をして、同じ玉砕をするでも納得をした形で終えるはずだった。
 城田から伊沢が好きだと言われてもきちんと受け止めて、それでもわたしはあなたが好きでした、とできるだけ押しつけがましくならないようにさらりと伝えて……なんなら、二人の恋を応援したって良かった。城田の恋人になれないのなら、せめて一番の理解者になりたかったから。
 それなのに……これではそんな理想とはかけ離れすぎていると芽子は我ながら嫌になる。
 芽子は未だ流れてくる涙と鼻水を拭いながら、スッとその場に立った。
「今まで……ありがとうございました。もうこちらにお邪魔することもありません。失礼します……」
 そう言って、芽子は鞄を持って歩き始めようとした。これ以上ここにいても城田を困らせるだけ、そう思ったから。
 が、その時……
 さっきまで城田に掴まれていた左腕を再び強く引かれ、芽子はバランスを崩す。
 尻餅をついた先は今まで座っていたソファの上、しかし、場所は城田の足の間だった。
 城田は落ちるように座った芽子をそのまま後ろから抱きしめた。
「城田……さん?」
 驚いて恐る恐る振り返れば、そこには何だか困ったような顔をした目尻の下がった城田がいた。
 ここ最近の怒った顔とは違っていて、不機嫌でないことは何となく感じ取れた。
 城田はふっと笑みをこぼすと、芽子の涙と鼻水を拭ってくれた。
「待って。まだ帰さない。野崎さんが俺のこと、同性愛者だと思ってるの……何でだ?」
「それは……あのとき、最初に城田さんが言ったから……」
 芽子はそう呟きながら記憶をたぐり寄せる。
 それはあの晩、芽子の不眠を心配して一緒に寝てくれると申し出た城田が言った言葉。
『女に興味ないんだ』
「女に興味ないって……」
 記憶の中の城田の声と、芽子の声がシンクロする。
 確かに城田はそう言った。あまりにも驚いた芽子が「それって……」と核心を突こうとしたら、想像に任せる、と城田ははぐらかした。
 だから芽子は城田が同性愛者だと思い込んだのだ。
「それ、続きがあるって知ってるか?」
「つ、づき……?」
「そう、野崎さん以外に、っていう続き」
 城田が言葉を紡ぎきるのとほぼ同時――驚きと興奮と色々が混じり合った感情で、芽子の目が大きく見開かれる。
「え……?」
 一瞬、何が起こっているのか芽子は理解できなくなる。
「俺は、最初から好きだった、野崎さんのことが。野崎さんが眠れなくなった頃からずっと。元気のない野崎さんが心配で、見ていたらいつの間にか……好きになってた」
「う、そ……」
「嘘じゃない。そうじゃなきゃ……抱き枕になるなんて申し出ない」
「だったら、どうして最初に……」
「最初から俺が野崎さんに好きだって言ったら応じてくれたか? 無理だったろうな。確かに、騙すようなことをしたのは悪かったと思ってる。でも、あの時はああして野崎さんに近づく方法しか考えられなかった」
「だったら、さっきはなんで……あんなこと。絶対渡さないって、城田さん凄く怒って……」
「あれは……本当に申し訳なかった。野崎さんを、持って行かれると思った。伊沢に対してまんざらでもなさそうだったし、さっきは誘いに対して断る風でもなかったから……。出張に行ってる間も、気が気じゃなかった。さっきだってこのままだと奪られるかと思った。だから、野崎さんを……芽子を誰にも渡さないってことだ」
 城田は芽子の疑問に一つ一つ丁寧に答えた。
「だったら……」
 城田の返答を聞き終えて芽子は再度そう口にしたが、もうその先の言葉は続かない。
「ごめん、謝って済むことじゃないが、酷いことをした自覚はある。今更ながら、大人げなかったと思ってる」
 城田は芽子が怒っていると思ったのか、改めて謝罪の言葉を述べた。
 しゅんと頭を垂れてしまった城田を、芽子はただ見つめる。
 あれは……そう、伊沢を奪おうとする芽子へ向けられたものではなく、芽子を奪おうとした伊沢に対する城田の嫉妬――……
  それが芽子の頭の中で理解されたとき、
『玉砕って決めつけないことね。人生、逆転満塁ホームランってこともたまにはあるから』
 初姫の言葉がリフレインした。

* 彼の想い彼女の想い 4 *

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