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* 秘めた想い 第1夜 *

 人の出払った隊舎にいたロイフェルドは、窓辺の椅子に腰を下ろして視線を窓の外へと遊ばせていた。
 その脳裏に思い浮かべるのは、昨晩の泣き濡れたリリアナの顔……
(酷くするつもりなど無かった……)
(優しく……抱いてやるつもりだったのに……)
 同時に浮かぶのは後悔の念。
 しかしあの時、衝動とも言える自らの本能をロイフェルドは止めることができなかった。
『ケル……ウェス……』
 リリアナの唇からその名が零れた、あの時、あの瞬間……
「くっそ……」
 ロイフェルドはギュッと拳を握りしめ、その目を静かに閉じた。

 記憶が遙か遠く、六年前へと遡る――――


*−・−*−・−*−・−*−・−*



 草木も眠る深夜……
「……こんな時間に何の用事だ?」
 一人の青年が王城の裏門近くで黒装束を身に纏った男達を呼び止めた。
 高く聳え立つその塀を越えようとした男達は振り返る。
「そこを越えて一番近いのは本城の西の離れ……王太子殿下にどんな用事だ?」
「貴様……」
 男達の内の一人が言うが早いか、青年は地を蹴った。
 ザ……ザシュッ……ザザッ……ザンッッ…………
 風が拭くような音がしたかと思った次の瞬間、
「グ……ア…………」
「…ク、フゥ……」
 黒装束の男達は断末魔の声を上げながら次々にバタバタと倒れていった。
 気が付けばその場にはおびただしい量の血が流れている。
 青年は既に屍となった男達をその青い瞳で見下ろしながら、自分の頬に付着した返り血を左手で拭った。それはまだ生暖かさが残っていた。
 右手で剣を月にかざすと付着した血が怪しく光る。
 辺りは生臭い血の臭いが漂っていた。慣れない人間にすれば卒倒してしまうような嫌な臭いだ。
「閣下、いつまでそこで見物していらっしゃるおつもりですか?」
 青年はふと、後方に生える木に向かって話しかけた。
 すると、ククッという笑い声と共に一人の男性がその木陰から姿を現す。
「気づいておったのか」
「隠れていらっしゃらないで、手伝ってくださればよろしいのに」
「手伝うまでも無かろうに。それに、年寄りの足手まといはいらんじゃろう? ロイフェルド」
 男性は鷹のように鋭い目を闇夜に光らせ、鍛え上げた大きな体を青年の隣へ並べた。
 青年、ロイフェルド=クラヴィアーナは隣に立った男性にチラリと視線を送る。
「先王陛下に、その腕で右に出る者はいないと言わしめた左近衛軍総督閣下が、本気で仰ってるんですか? 多少年は食ってもまだ健在でしょう」
「お前……可愛くないのぉ。まぁ、もちろん冗談じゃ」
 男性、サルヴェンナ王国左近衛軍総督、ヴァルディア=マイヨールは熊のようにガハハと豪快に笑った。
「それにしても、これで今月に入って三回目ですよ」
 ロイフェルドは剣に付着した血を拭い、それを腰元の鞘へと収めた。
「三回か……敵もなかなかしぶといのぉ。いい加減諦めてもよかろうに」
 三回目……それは、生まれたばかりの王太子、クランツへ向けられた刺客のことである。
 このサルヴェンナ王国は近年、国の西方に隣接するフェルデリア王国との関係が緊張状態であり、国交はあるもののいつ戦争が起こってもおかしくはない状態であった。そのためサルヴェンナの発展を良く思わないフェルデリアが密かに刺客を送り込み、こうしてクランツの命を狙っていたのだ。
 今から数ヶ月前、国の東方にあるマーライド王国との国境都市、スルナツカで暮らしていたロイフェルドは、その剣の腕を買われてある人物から依頼を受けた。その内容は王太子専属の護衛。
 もちろんそれは秘密裏に交わされた依頼であり、ロイフェルドはその正体を隠すためにクラヴィアーナという仮の姓を貰って左近衛軍へと入隊した。そして、日中はごく普通の隊員をし、今隣にいるヴァルディアと共に影ながらクランツを守っていた。
「マイヨール閣下、いつもの通り御前へのご報告はお願いします」
 ロイフェルドはそのまま一礼をすると「それでは」と言ってヴァルディアの元を下がっていった。
 ヴァルディアはそんな彼の後ろ姿を静かに見送った。


*−・−*−・−*−・−*−・−*



 それは、ロイフェルドが入隊して三ヶ月程経った日のことだった。
 その日、ロイフェルドは乳母と数名の女官と共に中庭に出たクランツの警護をヴァルディアから言いつかった。もちろん正式な護衛はクランツのすぐ傍で待機しているので、ロイフェルドは影ながら様子を伺っているだけである。
 何気なくクランツ達一同を観察していたロイフェルドは、乳母に抱かれたクランツに付き添う一人の女官に目を止めた。
 それは最近新しく入ったのか、ロイフェルドの知らない女官であり、白に近いような金髪をした年若い娘であった。年の頃は、そう……ちょうど十五、六。
 ロイフェルドはそれであることを思い出していた。
 産後の肥立ちが悪い正妃の事を気遣った国王が、王太子専属の女官を増員すべく新しく募ったと。
 その中で一人、金髪の綺麗な可愛い女官がいると同期入隊の友人、ジルギスが騒いでいたのだ。
 記憶によれば、中流貴族アルジェイル家の一人娘だったはずだとロイフェルドは思い出す。しかし名前までは覚えていない。
 別に何を目的とするわけではなく、ただ暇つぶしのようにロイフェルドはその女官を目で追った。
 見ているうちに気づいたのは、彼女があやすとクランツは他の誰の時よりもキャッキャと声を上げて喜ぶという事だった。
 そのうち、乳母とその女官は二、三言交わすと、乳母は抱いていたクランツを女官へと渡した。
 クランツを愛おしそうに抱きしめる女官は、その時、ニコリと満面の笑みをその表情に浮かべた。それはまるで、聖女のような清く美しい笑みであり、そこが一瞬スポットライトを浴びたかのように輝いた気さえした。
 ロイフェルドは不覚にも、瞬きを忘れてそれに見とれてしまった。
 後にして思えば、この時に一目惚れというものをしたのかもしれない。


 ◆◆◆


 その日、仕事を終えたロイフェルドは逸る気持ちを抑えながら、食堂で夕食を摂るジルギスを捕まえた。
「ジルギス、お前最近新しく入った王太子付き女官、知ってるだろう? 金髪の子」
 ロイフェルドはとにかく日中見た女官の情報を得たくて、ジルギスの前の席に着くなりそう尋ねた。
「あぁ、リリアナちゃんか? リリアナ=アルジェイルだろう?」
 ジルギスは甘辛ソースが絡まった野菜を口に運びながら的確に答える。
 流石、女性に目のないジルギスだ。王城内に務める女性の情報は、ほぼ全て脳内にインプットされているようだ。
 ロイフェルドは人選にミスがなかったことにまず心の内でガッツポーズを取る。
(リリアナ……そんな名前なのか)
 日中見た顔とその名前をロイフェルドは同時に思い浮かべた。
「で……リリアナちゃんがどうかしたのか? それ以前にロイド……そもそもお前がどうかしたのか?」
 気づけばジルギスは訝しそうな顔でロイフェルドを見ていた。
「な、何だ?」
「普段は女に一切興味を示さないお前が、今日は突然どうしたんだ? 開口一番女の話なんて」
 ジルギスはすっかり食事の手を止め、目の前に座ったロイフェルドを観察し始めていた。
 ロイフェルドはその時初めて自分の行動を後悔した。
 どうしてもリリアナのことを知りたくて、一刻も早く何かを聞きたくて、少し焦りすぎたようだ。ジルギスの疑う通り、確かに突然こんな話は不自然極まりない。
「いや、別に……大したことじゃないんだ。前にお前が彼女の話をしていただろう? それで、今日偶然見かけたから……別に、深い意味はない」
 ロイフェルドは何食わぬ顔で適当な理由を言い繕った。
 ジルギスはそれに納得したのか「ふーん」とだけ言って再び食事を始めた。
 それからしばらく、二人とも黙って食事を続けた。
 ロイフェルドにすれば情報収集をしたいことは山ほどあったが、急いては事を仕損じるだけだと思い食事をしながらジルギスの様子を窺うことにした。

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