※文字サイズ変更ボタン; 

* 秘めた想い 第3夜 *

「おう、おかえり。ロイド、お父上の具合はもう良いのか?」
 二年半ぶりに帰ったロイフェルドをジルギスは変わらずに迎え入れてくれた。
「あぁ、もう大丈夫だ」
 書類上、ロイフェルドは郷里の父の看病で休職したことになっていた。
 その不在の期間があまりに長引いたために、途中、一身上の都合、では処理しきれなくなったのだ。そのため、全ての事情を知るヴァルディアが機転を利かせてそれらしい理由を付けてくれた。確かにロイフェルドの父はこの戦で怪我を負ったので嘘ではなかったが、それは単にかすり傷程度で看病などは無用であったという話だが。
「だいたい二年ぶりくらいか? もしかして、お前このまま帰ってこないんじゃないかって心配してたよ」
「そうか、心配かけて悪かったな。いずれは田舎に帰るが、またしばらくはここにいるつもりだ」
 時間を空けても相変わらず人懐こい笑みを見せるジルギスを懐かしく思いながら、ロイフェルドは隊舎から窓の外を垣間見た。
 瞬間、ロイフェルドの表情は強ばった。
 その視線の先にあるのは、やはり変わらずに輝かしいほどの笑みを見せるリリアナ。既に十六歳になった彼女は更に美しさを増していた。その姿は単に“美しい”という言葉だけで済まされるものではなく、見る者全てを虜にしてしまいそうな勢いでさえあった。
 しかし、ロイフェルドの表情を強ばらせたのは他でもない、彼女の隣に立つ男性……
 濃茶色の髪をし、均整の取れた顔をした男性。彼は副長官用の隊服を身につけていた。その腕に入るラインから彼がロイフェルドやジルギスが所属する第一部隊の副長官であることが分かる。
「ジル、あれは……?」
 最低限の冷静さを装いながら、ロイフェルドはジルギスに尋ねる。
「あー。アレは我が第一部隊の新しい副長官様、フローシア殿だよ」
 そこまで言ってジルギスは急に声のトーンを落とした。
「ほら、相手の肩書きにしか興味のない嫌味な男がいたろ……ケルウェス=フローシアという名に覚えはないか?」
 ケルウェス=フローシア……確かにそれには覚えがあった。
 上流貴族フローシア家の嫡男で、大臣補佐官を父に持つ男だ。確かに剣の腕は立つのだが、相手の肩書きによりその扱いを変える人間であり、ロイフェルドやジルギスにとってはいけ好かない男であった。
「……キューヴェル副長官は?」
 ふと、前副長官のことを思い出したロイフェルドは問いかける。
「前長官が年齢を事由に依願退職されてキューヴェル閣下は一年前に長官に昇格されたよ。その後に大抜擢されたのがフローシア殿ってわけさ。まぁ剣の腕が立つのは確かだけど、御父君と共にそりゃもう熱心に挨拶回りをしていたよ」
「今の座に着くためにか?」
「そういうこと」
 確かに、ケルウェスがやりそうな事ではあるとロイフェルドは思った。
 しかし、その彼がリリアナの隣に立っていると言うことがロイフェルドには解せない。
「もしかして……リリアナ殿と、付き合ってるのか?」
 ロイフェルドの次なる問いに、ジルギスは溜息混じりに頷いた。
「あれもしてやられた、って感じだったさ。どんどん綺麗になるリリアナちゃんを狙ってる奴は多かったのに、何でもない振りして近づいて、副長官の座と共にかっ攫っていきやがった」
 ジルギスは不服そうな顔で窓の外を見やる。
「まぁこれは俺の憶測だけどさ、リリアナちゃんが王太子殿下の一番のお気に入りだから付き合ってるんじゃないかな。こう言っちゃ悪いけど、そうでもなきゃ彼が中流貴族の彼女を選ぶとは思えないんだよな」
 ロイフェルドは何も答えず、窓の外のリリアナをジッと見ていた。
 ジルギスの言う通りだと思った。
 幸せの絶頂にある彼女は気づいていないだろうが、ロイフェルドには容易に想像できる。
 ケルウェスには何か腹の奥底に秘めた黒い思いがあるということに。そして、リリアナは単に利用されているだけに過ぎないのだと。
 しかし、その時のロイフェルドにはどうしてやることもできなかった。
 ただ、唇を噛みしめて仲睦まじそうな二人を見ていることしかできなかったのだ。
 あの時帰郷しなければ、戦さえなければ……もしかしたら彼女の隣には自分が…………そんなどうしようもない思いが、ロイフェルドの中で溢れかえっていた。
 一体、どうしてこうなってしまったのか、何が悪かったのか……そんな理由を考えたりもしたが、それは考えても考えても分からなった。最終的に恨みどころの無かったロイフェルドは、やがて、神の悪戯だろうかと思うようになった。
 そして、今まで神に敬虔な祈りを捧げていた自分を酷く滑稽に思った。毎朝毎晩欠かさず祈りを捧げてきたのにこの様だ。ロイフェルドが神の存在を否定するのに、さほど時間はいらなかった。


*−・−*−・−*−・−*−・−*



 もはや叶う想いではない……そんなこと、百も承知だった。
 それでも、ロイフェルドは軍に残ってリリアナを陰からそっと見守り続けた。
 そこに深い意味はない。ただ、リリアナの傍にいたかった……それだけだ。
 彼女の瞳に映るのが自分でなくとも、彼女が笑いかけるのが自分でなくとも……ただ傍で見守っていられればロイフェルドはそれで良かった。
 やがて仕事の合間にケルウェスのいる隊舎を訪ねてくるようになったリリアナは、よく見かける数名の隊員を覚えていった。その中にはロイフェルドも含まれていた。
 そして、愛想の良いリリアナは、ロイフェルドを見かければ挨拶をしてくれるようになり、数えるほどではあるが会話も交わした。それは天気の話であったり、仕事の話であったり、記憶に留めるほどでもないような他愛もないものであったが、ロイフェルドにとっては十分すぎるもので……。
 だから、彼は願った。
 このまま何事もなくリリアナが一生幸せに暮らしてくれるように、と。
 ケルウェスの人となりには幾ばくかの不安が消えずにあったが、リリアナには何としてでも幸せになって欲しいと切に願っていたのだ。
 しかしその反面で、ロイフェルドはリリアナの姿を見るたび、自らの内から溢れ出る黒い思いを懸命に抑えていた。
――幸せになってくれればいい……そんなのは大嘘だ。自分の手で幸せにする方が良いに決まってる
――略奪をしてしまおうか。それが叶わぬのなら、陵辱して体だけでも手に入れてしまえばいい
 それは恐ろしいほどに醜い欲望。
 自らの内にこんなものが存在するのかと思うと、ロイフェルドは吐き気がした。その罪深き思いに押しつぶされそうにもなった。
 そんな苦しみを抱えながらもロイフェルドはリリアナを見守り続けて月日を過ごした。
 それはある日のことだった。
 ロイフェルドはジルギスからひとつの噂を聞いた。
『リリアナちゃんと副長官、次の春に結婚するってよ。北の大神殿で盛大に式を挙げるらしいぞ』
(もう……これで、本当に終わりだ)
 ロイフェルドは話を聞き終えてすぐに思った。
 終わり……それは、彼の中のわずかな希望に対するもの。
 諦めた、と言いながら、ロイフェルドは心のどこかで万に一つの希望を持ち続けていた。そんなもの持っても仕方がなかったのに、名前を覚えてくれたり挨拶をしてくれたりするリリアナに、ロイフェルドは見てはいけない夢を見てしまったのだった。
 しかし、リリアナの結婚が決まった今、綺麗すっぱり忘れるべきだと思った。そして、これを機会に心の整理をし、軍にも除籍願を出して田舎に帰ろうと彼は決めた。
 それからロイフェルドはリリアナの結婚式目掛けて帰郷の準備をし始めた。彼女たちの挙式が執り行われる前にこの地を去ることにしたのだ。他の男の隣に立つリリアナの花嫁姿を見るのは耐えられなかったから。
 その後更に月日は経過し、寒かった冬もそろそろ終わりを告げるのではないかという頃だった。
 ロイフェルドが自室で除籍願を書いている時、
『リリアナちゃんが、副長官と破局したってさ』
 ジルギスがその知らせを持って飛び込んできた。

↑ PAGE TOP


* 秘めた想い 第3夜 *