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* 秘めた想い 第4夜 *

 ジルギスの言葉を聞いた瞬間、ロイフェルドは彼が質の悪い冗談を言っているのかと思った。しかし、どうやらそれは真実のようで、それから至るところで同じ噂を耳にした。
 やがて彼は別の情報も耳にする。
『フローシア副長官は、王国軍総督閣下の娘と結婚が決まった』
 ロイフェルドがずっと抱えていた心配が遂に現実となってしまったのだ。
 以前、ジルギスが言った言葉が思い出される。
『まぁこれは俺の憶測だけどさ、リリアナちゃんが王太子殿下の一番のお気に入りだから付き合ってるんじゃないかな』
 まさにその通りだったのだ。リリアナよりもメリットの多い総督の娘に、ケルウェスは何の未練もなく乗り換えたのだ。
 まるでいらなくなった紙くずを投げ捨てるかのように、ケルウェスはリリアナを捨てた。
 やはり、彼はリリアナに対して愛など無かったのだ。見ていたのは彼女に付いていた肩書きだけ。王太子一番のお気に入りというステータスだけ。
 それによって深く傷ついたであろうリリアナを思うと、ロイフェルドは酷く胸が痛んだ。できることなら、慰めてもやりたかった。
 しかし同時に、彼の中ではある貪欲な考えが芽を出し始める。
(リリアナ殿を自分のものにするならば、今が良い機会ではないだろうか……)
 きっと今この時を逃せば、もう二度とチャンスはやってこない。
 ロイフェルドはリリアナに同情する反面でそう確信していた。
(でも、どう仕掛ける?)
 確信を持ったはいいものの、どう介入していくべきか、ロイフェルドはその手段に頭を悩ませた。幾晩かそれを考え続けたが良い案は一向に浮かばない。
 そんな時、ロイフェルドは偶然にもリリアナと出会い頭にぶつかったのだ。
 彼女はしばらく見ないうちに随分とやつれたようで、その表情に以前のような輝きはなかった。もちろん、相変わらずの美しさではあったが、その背には明らかに影を背負っている。
(やはり……辛いのだろうな……)
 すぐにでも救ってやりたいとロイフェルドは思う。
 そして、上げられたリリアナの目を見た瞬間……
(――――?)
 ロイフェルドの心に一抹の不安が過ぎる。
(何を……考えている?)
 リリアナの目の奥に潜むものを、ロイフェルドは一瞬で感じ取った。
 彼女のそれは何かを決意したような目。
 一見、力なく曇ったように見える瞳――しかし、その奥には確実に何かが隠れている。そんな不思議な感覚をロイフェルドは得ていた。
 思わず見つめてしまったせいか、リリアナは数秒でロイフェルドから視線を逸らした。しかし、ロイフェルドは彼女から視線を外すことはできなかったのだ。
 その時のロイフェルドにはリリアナの思惑を十分に読み取ることはできなかった。それでも、早まる鼓動が何か底知れぬ危険を静かに伝えていた。


*−・−*−・−*−・−*−・−*



 その晩、なかなか眠りに就けなかったロイフェルドは隊舎を抜けて外を歩いていた。
 眠れぬ理由は分かっている。
 それは、昼間見たリリアナの目。
 普段の彼女からは想像も付かないような眼差し……
 まるで何かを決めたような、踏み切ろうとしている目……
(仕事を辞めて実家に戻ることでも決めたのだろうか?)
 ふと、そんな思いがロイフェルドの脳裏を過ぎる。
 もしそうだとしたら、彼女が王城にいるうちに何とかしなければならない。しかし、ロイフェルドはそんな簡単なことでは済まされないような漠然とした不安を持っていた。
「一体……何だと言うんだ」
 ロイフェルドは思いのやり場に困って視線を上空に上げる。その先には丸い月があった。
 今宵の月は大きいが霞掛かっている。そのため輪郭はぼやけており、まるで泣いているようだとロイフェルドは思う。
 そこから思うのは、リリアナが独り寂しく枕を泣き濡らしているのではないかという心配。
 だが、心配したところで、今はまだ慰めてやることもその涙を拭ってやることもできないのだ。
 そして、相変わらず考えのまとまらない頭をガシガシっと掻くと、彼は元来た道戻ろうと踵を返す。明日も早いし、仮に眠れなくても少しくらいは横にならなければ身が持たない。
 その時だった。
「――――」
 遠くで誰かが話す声が聞こえた気がした。
 こんな真夜中に、と不思議に思ったロイフェルドは、声の聞こえた方向、左近衛軍の隊舎近くにある噴水へとすぐに向かう。
 物陰からそっと様子を窺うと、月明かりの下、男性と女性が一人ずつ見えた。
 最初は逢い引きかと思ったが、途切れ途切れに聞こえてくる声の具合がどうやらそんな様子ではない。
 男性は巡回中の衛兵のようである。そして女性は……
(――――!!)
 ロイフェルドは、一瞬その目を見開いた。同時に心臓が大きく脈打つ。
 月下に見えるのは、その月と同じく白に近い金色の髪を持った女性……
 今衛兵から厳しい尋問を受けているのは、間違いなく……
(リリアナ殿だ……)
 思った時には物陰から飛び出し、ロイフェルドはリリアナを自らのマントの中へと引き入れていた。
 衛兵とロイフェルドが会話を交わしている間中、リリアナは彼の腕の中で小刻みに震えていた。よほど怖い思いをしたのだろう、その密着する体から彼女の駆け足のような鼓動も伝わってくる。
 やがて衛兵が去った後、リリアナはすぐにロイフェルドから離れた。
 何かに急いでいるのか、彼女は当たり障りのない礼を述べると「用事がある」と言って踵を返す。
 一体こんな夜中に何の用事があるというのだろうか。妙な胸騒ぎを覚えたロイフェルドは、まるで逃げるように去ろうとするリリアナの腕を思わず掴んでしまった。
 その瞬間、カシャンという音がして短剣が一本、リリアナの袖の内から滑り落ちたのだ。
 ロイフェルドはリリアナの腕を掴んだまま別の手でそれを拾い上げる。
 それは上等な装飾が施された物であり、戦闘用ではなく護身用の物だとうかがい知れた。
(もしかして、自殺を……するつもりなのか?)
 一瞬、嫌な予感がロイフェルドの脳裏を過ぎる。
 折しも、リリアナは最愛の恋人に裏切られた直後だ。そして、彼女は今「用事がある」と急いでいる。……考えられないことではなかった。
 しかし、そう判断してしまうには何かが違うような気もする。
 ロイフェルドは短剣を取り戻そうと一生懸命伸び上がるリリアナからそれを引き離し、彼女の様子を冷静に観察した。
 淡い月明かりの下で、リリアナの目をジッと見つめる。
 エメラルド色をした彼女の目は必死そのものだった。そして、昼間と同様、そこには何かしらの決意が見え隠れしている。
 リリアナはその口を静かに動かした。
「必要なのです。どうしても……わたくしには必要なのです」
 その時、ロイフェルドの中では一つの結論が導き出されようとしていた。
 上級女官には普通ならば必要ないと思われる短剣、何か重大なことを決意したような目、そして何より左近衛軍の隊舎から近いこの場所……
(復讐……か……)
「復讐のため……ですか?」
 思うのと同時に、ロイフェルドはそう言葉を紡いでいた。

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