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* 秘めた想い 第5夜 *

 リリアナの決意は固かった。
 ロイフェルドがどんなに正論を述べて止めようとも、彼女の決意は揺るがない。
 だからロイフェルドはもはや脅し半分に言った。
 正当防衛という理由で相手に殺されるかもしれない、と。
 死の可能性――普通の女子供であれば、流石にそれで思いとどまるはずだとロイフェルドは踏んでいたのだ。
 しかし、
「構いません」
 リリアナの決意はびくともしなかった。その時の彼女の瞳に光はなかったが、何か恐ろしい程強固な意志が感じられた。
 そこに死の影を感じたロイフェルドは思わず「死ぬつもりですか?」と尋ねてしまった。
 それに対してリリアナは答えた。
「生きる意味が、見い出せません……」
 そう言ったリリアナの表情は酷く寂しげで、ロイフェルドは思わず彼女を抱きしめてしまいたい衝動に駆られる。
 そして、
(守ってやりたい……彼女を何としても)
 心の底から思った。
 一見強く見えるのに、少しでも触れればボロボロに崩れ落ちそうなリリアナ……そんな彼女の姿はロイフェルドの心を締め付けた。自分の命に代えても守ってやりたいと、何の打算もなく純粋に思わせるほどに。
 その一方で、ロイフェルドの中にはもう一人、とても冷静な自分がいた。
 今この瞬間こそが本当に待ちに待った千載一遇のチャンスなのではないかと思う自分が。
 顔見知り程度のロイフェルドが正面から攻めたところでリリアナを落とせる可能性は低い。むしろ、男に裏切られ、辛い経験をしたばかりのリリアナはすぐには受け入れないだろう。時間をかければ可能性はあるかもしれないが確実ではない。
 しかし……
(復讐を誓い、命さえも省みないリリアナ殿……今なら彼女に付け込むことができるのではないか?)
 そんな思いがロイフェルドの中で増殖し始めた。
 純粋にリリアナを助けたいと思う反面、彼女の弱みに付け込んで一気に物にしてしまえばいいという悪魔のような囁きが聞こえる……
 リリアナはそんなロイフェルドの心情を知る由もなく、見なかったことにして欲しい、と言い残して腕を振りほどいた。
(守りたい……リリアナ殿を守らなければ……)
(今こそ……どんな手段を使っても、彼女を自分の物に…………)
 ロイフェルドの中で純粋な優しさと、不純な謀略が交錯する。そうする内に、リリアナはその背をロイフェルドへと向ける。
 やがて、
(守りたい……)
(手に入れたい……)
 交錯していた二つの思いが、ロイフェルドの中でピタリと結合する。
「死ぬ覚悟があるなら、お前の全てを俺に売らないか?」
 ロイフェルド自身、気づいた時にはそう言葉を紡いでいた。
 振り返ったリリアナは、驚愕の表情を見せている。
 しかし、既に心を一つに決めたロイフェルドは、冷静さを取り戻しながら次なる段階へと進もうとしていた。
 次なる段階――それは罠を仕掛けること。リリアナという獲物を仕留めるための一世一代の罠を。
 ロイフェルドは自らを落ち着けるように一呼吸置き、そして言った。
「俺がお前の復讐に手を貸してやる。ただし、その代償はお前の体で払え」
 今度は明らかにリリアナの顔が強ばった。しかし、それもロイフェルドにとっては計算の内だ。
 今まで蝶よ花よと大切に育てられた若い娘が、理由はあるにせよ、突然その体を差し出せと言われた。しかも言ったのは、目の前にいる顔見知り程度の男。それも、今まで至極紳士的に接してくれていた男が突然言い出したのだから、驚かない方がおかしい。
 その後者はさておき、自らが提示した条件に関してはロイフェルド自身も随分と酷いことを言っていると思った。しかしながらそれには、きちんと彼なりの理由があってのことだ。
 実際の所、ロイフェルドはリリアナの体が目的な訳ではなかった。
 確かに、男として長年思い慕った彼女を欲する気持ちはあったが、この時の彼にはきちんとした別の目的が二つあったのだ。
 一つは他でもない既成事実。
 未婚女性の処女性が重視される昨今の風潮を考慮すれば、男性はそれさえあれば相手の女性を縛ることができた。だからロイフェルドはどうしてもそれが欲しかった。いずれはリリアナを妻に迎えるという大前提の元、まずは彼女を自らの傍に留め置くそれが欲しかったのだ。
 二つ目はリリアナを納得させるための辻褄。
 本音を言えば、ロイフェルドは好いた女のためであれば何の代償もなくケルウェスに復讐をしてやることだって厭わなかった。しかしそれでは、リリアナは納得しないだろうと踏んだのだ。
 つまり、この二つの目的を同時に果たすには、何としてでもこの契約を結ぶ必要があった。
 ところが、交渉はロイフェルドが思ったほどにはうまくいかなかった。
 いくら命をかけても良いと思った復讐だとしても、貞淑であることに命と同等とも言える重みを持つリリアナはロイフェルドの提示した条件にすぐには同意できないようだった。
 それは十分理解できたのに、ロイフェルドはいつの間にか生じ始めた焦りを抑えるのに懸命だった。気を抜けば焦燥感で暴走しそうになる自分を必死に抑え込みながら、冷静さを装い、復讐の代行という甘い蜜でリリアナを巧みに誘う。
 だが、リリアナは黙りこくったまま動かなくなってしまった。
 彼女にだって考える時間は必要だ……リリアナの様子に最初はそう理由をつけていたロイフェルドも、その時間が長くなるに連れて自らの内で諦めの色を濃くしていった。いや、そうせざるを得なかったのだ。
 それからしばらくの間をおいたが、リリアナはやはり動こうとはしない。
(もう……これまでか……)
 やがて、陥穽を仕損じたと結論付けたロイフェルドは、リリアナには気づかれぬよう小さな溜息を零す。そして、マントをバサリと翻し、敗者として潔く彼女の前から姿を消すことを決めた。
 が、
「待って……」
 リリアナがぎりぎりのタイミングでロイフェルドを引き留めた。
 予想外の出来事に、ロイフェルドの内で一度消え去ったはずの期待という感情が再燃し始める。
 振り向けば、そこにはもはや迷いのないまっすぐな目をしたリリアナが立っていた。
「分かりました。あなたの……申し出をお受け致します」
「良いのか?」
 ロイフェルドは、思わず聞き直してしまった。これで「やっぱりやめます」と言われたらどうするつもりだと、聞いてしまった自分に後悔の念を募らせながら。
 しかし、
「構いません。この体、全てクラヴィアーナさんに差し上げます」
 リリアナの答えは変わらなかった。
 ロイフェルドのマントを掴む手はわずかに震えていたが、それを離す気はないようだった。
(罠に掛かった……)
(これでリリアナ殿は、俺の物……)
 何とも言えない達成感がロイフェルドを支配した瞬間だった。

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