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* 秘めた想い 第6夜 *

『今夜、日付の変わる頃、北の大神殿で待っている』
 いくら契約を結んだとはいえ、リリアナが本当に来るかどうかロイフェルドには分からなかった。
 元が心優しい彼女のことだ、良心に苛まれて復讐自体をやめるということだって十分に考えられたのだ。
 だから暗闇の中、大神殿でリリアナの姿を見つけた時、ロイフェルドは素直に嬉しかった。それは不適当な感情だったのかもしれないが、リリアナが来てくれた、ただそのことがロイフェルドは嬉しくてたまらなかった。
 しかし、ロイフェルドのそんな感情に反比例するかの如く、リリアナの表情は酷く青ざめて強ばっている。
 そんなリリアナが心配で
「そんなに真剣に何を祈る?」
 ロイフェルドは思わず尋ねてしまった。
 それに対して、リリアナは「謝罪」だと答えた。神を裏切る事への謝罪だと。
 敬虔な教徒であるリリアナらしい答えだとロイフェルドは思う。そして、そうであるにも関わらず、神を裏切ってまでも復讐を成し遂げたいと願うリリアナに彼女の受けた傷の深さを思い知らされた。
 それからリリアナを連れて夜警時専用の待機部屋へ行くと、ランプを付けて初めて、ロイフェルドはそこにテアトラス神の聖像があったことに気づいた。
(まずい……)
 そう思い即座にリリアナの様子を見やれば、やはり彼女はそれが気になるようでランプに照らし出された聖像から不自然にその視線を外す。
「はじめに……俺からいくつか条件がある」
 何とかリリアナの気を逸らしてやろうと、やや不自然ではあったがロイフェルドはそう口にした。
 その後、彼の提示した条件にリリアナは少しの異存を述べることもなくただ従順に首肯した。
 しかし、それを言い終えてしまえば後にはもう話すことなど何もなく、二人の間には沈黙が流れる。
「あの……」
 小さな声で沈黙を破ったのはリリアナだった。
「一つだけ聞いてもよろしいですか? なぜ……クラヴィアーナさんはわたくしに手を貸してくださるのです?」
 それは、ロイフェルドが何となく予測していた質問。賢いリリアナのことだから、単なる顔見知り程度の男が協力するという事を疑問に思い、そのくらいは聞いてくるだろうと思っていた。
 だから「ただ女が欲しいから」「娼婦を買うのは金がかかる」と、予め用意してあったそれらしい台詞をできるだけ素っ気なく、そして冷たく言った。
 ところが、リリアナは納得してくれなかった。
「確かに……わたくしを相手にするならお金はいりません。ですが……復讐に手を貸せば、少なからずあなたの身は危険に晒されますよ?」
 彼女はそう言ったのだ。
 今度のそれは、流石のロイフェルドも予想外のこと。まさか、リリアナがそこまで考えているとは思ってもみなかったのだ。
 確かに、冷静になればそのくらいのことは考えつくことなのかもしれない。しかしこの時、ロイフェルドにはある自信があった。リリアナが心優しい娘だから、そこまでのことを考えられるのだという自信が。
 弱みに付け込んで純潔を奪おうとしている相手のことなど、恨みこそすれ思いやる必要など無いのに、優しい彼女はそこまで考えてしまったのだとロイフェルドは信じていた。
 しかし、その反面で今この状況をどう切り抜けるべきなのかロイフェルドはその頭を悩ませた。
 そうこうするうちにも、リリアナはまっすぐな目でロイフェルドを見つめる。
「やはり娼館に行かれた方が……」
「お前、もちろん処女だろう?」
 返答のないロイフェルドに対し言葉を重ねようとしたリリアナを、彼は低い声でそう遮った。
 ロイフェルドの視界には羞恥で顔を真っ赤に染めたリリアナが収められる。
 そんな彼女を追いつめるかの如くロイフェルドは続ける。
「娼館で処女を買えるのは限られた金持ちだけだ。普通の人間では到底買えない。それを思えば多少の危険は仕方がない……そうは思わないか?」
 本当は
『貴女を救えるなら、手に入れられるのなら、命など惜しくはない』
 そう言いたいのを我慢して、ロイフェルドは冷たく言い放った。
 案の定、リリアナがそれ以上何かを言うことは無かった。
 その時、ロイフェルドはリリアナが必死で生じる震えを殺そうとしていることに気づいていた。何も知らない生娘が、これから我が身に起こるであろうことを想像すればそれも致し方のないこと。
 だからロイフェルドは尋ねた。
「怖いか?」
 リリアナはそれに、気丈な振りをして答えた。「怖くはない」と。
 無理をしているのは分かった。
 しかし、もうロイフェルドにはリリアナを逃がすつもりなど微塵もなく、そのまま彼女をベッドへと押し倒す。
 その時、ロイフェルドは背中へ視線を感じた気がした。
 振り返れば、そこにあるのはテアトラス神の聖像……――
(きっと、罪悪感を持つのだろうな……)
 先ほど、聖像の前で祈りを捧げていたリリアナがロイフェルドの脳裏に思い出される。
 暗闇の中、月明かりに照らされながら、ただ真剣に真っ青な顔で祈りを捧げていたリリアナ……
「少し待ってろ」
 ロイフェルドはそう言って一度リリアナから離れると、自らのマントを投げやるようにして祭壇ごと聖像を覆い隠した。
 仄暗い部屋の中、リリアナの驚いた顔が見えた気がした。
「裏切るところを見られなければ、懺悔も謝罪もする必要はないだろう?」
「そんな……詭弁です」
「詭弁で結構、俺は信仰心てものを持ち合わせてないんでね」
 そう……信仰心などロイフェルドは遠く昔に捨てている。リリアナを諦めざるを得ないと悟ったあの日から。
 それでも、今この時は少しくらい神の存在を信じても良いかもしれないとロイフェルドは思っていた。なぜなら、決して手に入らないと思ったリリアナが、手を伸ばせば届く所にいるのだから……
(もし……もし、神がこの世に存在するのならば……)
 マントの下に隠れた聖像に、未だ意識を向けているリリアナを見ながらロイフェルドはギシリと音を立ててベッドへ片膝をつく。
「それでも気になるなら、全て俺のせいにすればいい。お前の弱みにつけ込んだ、悪い男のせいにな。お前は悪いことなど何もしていない。そしたら神も救ってくれるだろうよ」
(願わくば、リリアナが罪の意識を感じないよう……救ってやって欲しい。代わりに俺が、どんな罰でもこの身に受けよう……)
 ロイフェルドは心の内で切に願いながら、リリアナの唇を自らのそれで深く塞いだ。

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