時は遙か昔に遡る――
 今から十八年前、大納言九条家には第三子が生まれ、陽月と名付けられた。
 それが結依である。
 史上最年少の大納言を父に、そして太政大臣の二の姫を母に持った結依――いや、陽月は当時の都で最も光の当たっている家庭に生まれた。
 多くの者はその第三子の誕生を喜び、祝福した。しかし、一方ではそれを疎ましく思う者もいたのだ。
 その一人が今の左大臣、槌屋つちや元恒もとつねである。
 当時、槌屋元恒と九条嘉月は同じ大納言職にあった。槌屋は常日頃から嘉月に必要以上の敵対心を持っており、ことあるごとに嘉月との対立を繰り返していた。
 当時の都において、この二人の実力はいずれ劣らぬ物であった。それ故、やがてはこの二人が朝廷の二大勢力を作り出すだろうということは誰もが予測していたことだった。
 しかし、槌屋はそれを良しとはせず、なんとかして嘉月の上にのし上がろうと策を練っていたのだ。
 そんな中、槌屋の望みを叶えるためにはひとつだけどうしても起こってはならないことがあった。
 それは政敵、嘉月に娘が生まれること。
 当時、時の帝や東宮を初めとし、数いる上役たちからの信頼が非常に厚かった嘉月は、槌屋よりも早く大臣職に就くと期待されていた。その時にもしも嘉月に娘がいれば、その娘はほぼ間違いなく中宮に立つであろうと槌屋は考えていたのだ。
 それも中宮の父だけならまだしも、やがて嘉月が御子の祖父にでもなれば、もはや槌屋に勝ち目などない。
 そこで、槌屋はひとつの決断を下した。
──九条の第三子が娘ならば死を
 北方、陽子の妊娠中から槌屋の企みを案じていた嘉月は、第三子の出生後もしばらくは性別を公表せずにいた。生まれた子の性別を知るのはごく限られた者だけで、九条邸に仕える従者や女房でさえそれを知り得なかったのだ。
 やがて槌屋の企みに確信を持った嘉月は、陽子と共に大きな決断を迫られる。
―─生まれた陽月を手放すかどうか
 陽月が本来の姫として穏やかに暮らすには、もはや親元にいるわけにはいかなかった。
 九条の姫という肩書きがある限り陽月は常に死と隣り合わせで生きていかなくてはならない……それが生まれたばかりの陽月に課せられた運命だったのだ。
 嘉月も陽子も、それには何日も頭を悩ませた。陽月の幸せだけを願い、何度も手放そうと考えた。
 それでも、最終的に陽月を手放すことのできなかった二人は信じ難い決断に踏み切ったのである。
―─九条家第三子、九条陽月は男である
 当主、嘉月の発表でその真っ赤な嘘は瞬く間に都中に広がった。しかし生まれた子の性別を知らせていなかったために、それを疑う者は誰一人としていなかったのだ。
 その日から、大姫陽月は三男陽月となり、乳姉妹の千裕は乳兄弟に、女童の千明と千草は側近となった。
 そして我が子の身を案じる両親の意図により、陽月と三姉妹は肩書きだけではなく生活のすべてを男として送るようになった。万が一にも、槌屋に姫だと知れることがないように。
 やがて陽月が三歳になった時、嘉月は周囲の期待通り史上最年少で左大臣に就任した。
 親元で男として順調に育っていた陽月は、自分の身は自分で守れるようにと物心の付いた時には刀の柄を握らされていた。
 来る日も来る日も武術の稽古に明け暮れていた陽月であったが、いつの間にか自らの性別と生活の矛盾には気がついていたのだ。姫としての生活が送れないことに、陽月はその心を傷め、泣いて過ごすこともあった。
 しかしそれでもまだ、その時の陽月は幸せだった。
 優しい両親がいて、可愛がってくれる兄たちがいて、そしていつも守ってくれる乳母がいて……それだけで十分だったのだ。
 しばらく息を潜めていた槌屋が再び行動を起こしたのは、陽月が六歳の時だった。
 陽月の乳母であり、嘉月の密偵を務めていた深幸が槌屋の手に掛かって命を落としたのだ。
 原因は唐渡りの猛毒。
 当時、深幸は嘉月の毒味役も務めていた。嘉月も深幸も陽月を守るために毒に関しては多くの知識を持ち、その体もある程度の毒には慣らしてあった。
 それでも、その時その毒だけは二人とも気づくことができなかったのだ。
 知らずに摂取し続けた結果、毒は確実に二人の体を蝕んでいきいつの間にか深幸は微熱や倦怠感を訴えるようになった。
 当時から嘉月と交友のあった典薬頭、横堀源向にも診せたが疲労によるものだとの判断であった。
 しかし、それからすぐに深幸が手足の痺れを訴え、続けてその体が動かなくなり、気がついた時には既に意識がなかった。
 いち早く異変に気づいた横堀は、寝る間も惜しんで毒の種別を特定して解毒剤を調合した。しかし、皮肉なことに薬の完成と同時に深幸は息を引き取った。
 それはとても静かな死だった。
 深幸の綺麗な死に顔はまるで眠っているかのようで。
 しかし二度と上がることのない瞼、二度と動くことのない唇がその死を物語っていた。
 人の死を初めて見た陽月は、生まれて初めて泣いて泣いて泣き通した。体中の水分が枯渇してしまうのではないかと思う程に。
 そして、もう深幸は起きないと分かっていながらも、陽月と三姉妹は解毒法を必死に覚えたのだ。優しかった乳母の死を、母の死を、決して忘れぬために。
 そうして陽月たちが深幸の死に悲しみ暮れるうち、今度は同じ毒で嘉月が倒れたのだ。幸い、嘉月は解毒が間に合ってその命を取り留めた。
 それから二年後、陽月が八歳の秋のこと。
 嘉月が槌屋の策略にはまり、世に言う成安の変が幕開けたのだ。
 時の帝、稜黎天皇の第二皇子、貴之親王がある朝突然遺体で発見されたことからそれは始まった。
 貴之親王はその腹部に嘉月の刀を突き刺された状態で発見されたのだ。それはとても無惨な殺され方で貴之親王の体はそこかしこに刀傷を負っていた。そして、その凶器となった刀は数日前に嘉月が夜盗に襲われて失ったものだった。
 物証が上がり、根も葉もない噂が次々と事実を作り上げ、誰もが嘉月を犯人だと決めつけた。ごく少数の者たちは嘉月を庇ったが、その時には既に多くの者に槌屋の息が掛かっていた。
 稜黎帝や東宮は最後まで嘉月を信じ、庇った。しかしそれも所詮は無駄な抵抗でしかなく、嘉月は弁解の余地もなく極刑に処せられた。同時に、当時既に元服を終えていた嘉月の嫡男と腹心の側近たちも共謀者として極刑に処せられたのだ。
 幼い陽月は何が起こったのか理解できなかった。
 ある日突然たくさんの人が屋敷にやってきて、そして父や兄たちを連れて行った。
 ただその時、心配そうな顔をする陽月に嘉月が笑いかけてくれたのだけは今もよく覚えている。それはとても優しい父の笑顔だった。
 そして、笑顔の父は決して守られることのない約束を娘にしていったのだ。
『大丈夫。すぐに帰ってくるからいい子で待っているんだよ』
 陽月は父に元気よく返事をした。『はい』と笑顔で。
 幼かった陽月はそれが嘘だと気づかなかった。
 だからその嘘の約束をずっと信じて待っていた。嘉月の訃報を受けるその時、その瞬間まで。
 嘉月たちの刑が執行されてすぐ、槌屋は何事もなかったように空席となった左大臣の座に就いた。
 そして今度は、陽子にある条件を突きつけてきたのだ。
―─二人の息子を救いたければ、我が側室に
 当時、陽子は都でも名高い美姫で槌屋は以前からそれに目をつけていた。もちろん陽子は迷うことなく彼の側室になることを承諾した。
 そして報復を恐れた槌屋はもうひとつの条件を陽子に提示してきたのである。
――子は皆、出家させよ
 陽子はそれに従ってすぐに二番目の息子を宇治の寺院へと送った。
 しかし、陽子が事前に放っておいた密偵が戻ってきたのは息子を送り出してすぐのこと。
 息子の無事の到着を知らせるために放った密偵は、予想もしなかった報せをもって九条邸に戻ってきたのだ。息も絶え絶えにやっとの思いで。
『槌屋の手の者にやられた……』
 密偵は最期の力を振り絞り、ただ一言陽子に伝えて事切れた。
 陽子はもちろん、そばで聞いていた陽月もそれが兄の死を意味するのだということを理解した。
 そして最後まで陽子の元にいた陽月は、ある日の真夜中、嘉月が生前親交の深かった北邨時峯に預けられた。誰にも知られることなく、陽子自らの手でひっそりと。槌屋には嵐山の寺院へ送る途中で賊に殺されたと偽って。
 こうして、陽月は北邨家の住人となった。
 陽月は大納言北邨家の二の姫、結依となり、同じく引き取られた三姉妹もそれぞれ千帆、千春、千波という新しい名前と二の姫付き女房という身分をもらった。
 それから十年、陽月は結依としてその人生を歩み続けた。
 陽月としての思い出を心の奥底にしまい込み、いつか必ず復讐を成し遂げようと堅く心に誓って。