「む、むむむ無理です!! け、結構です」
 深知留は『断ります』という意思表示のため、手首が振り切れるのではないかと言うほどその右手をブンブンと振った。
 焦りと緊張で激しい吃音が深知留の口から紡がれる。
「遠慮なんて、しなくて良いから、ね?」
 環は満面の笑顔を深知留に見せる。
 その環の後ろにはやはり満面の笑みの女性が立っている。
 ここはとあるブランドショップ。
 環はつい先ほど深知留をここに連れてきた。
 それは別に良い。
 ただ、環は深知留を連れてきたのは普通の客が出入りをする一階の店舗ではなく二階の奥まった所にある部屋だったのだ。
 そう、いわゆるVIPルームという場所。
 深知留にとってここは環の車中よりさらに居心地が悪かった。
 どう考えても高そうなソファーに、床はフカフカと沈み込みそうなほどの絨毯張り。
 そんなところに深知留は洗いざらしのジーパンとカットソーでいるのだから分不相応極まりない。
 深知留だってこんな所に来ると知っていれば、それなりの支度の一つや二つは手持ちがある。しかし、今日に限ってはいきなり連れてこられたのだ。しかも普段着のまま。
 普段着だって年頃だということを考慮すれば、それなりではあるはずだが深知留はそうではない。というのも、深知留が着る服は全て実験で汚れることを予測しての選択であるからだ。一応実験中は白衣を着る。それでも、絶対ということはないのでよほどのことがない限り学校には華美な支度をしていかない。
(こんなことなら日頃から真尋ちゃんみたく可愛い格好してれば良かった……)
 いつもふわふわなスカートを翻している真尋の姿を思い出しながら、深知留は今更ながらに心底後悔していた。
「ここ、今女の子の間で流行っているんだろう?」
 環は一向に選ぼうとしない深知留の様子をうかがうように言った。
「そ、それは……そう、ですけど」
 確かに、深知留も元々このお店は知っていた。しかし、彼女はそのブランド名とここにお店がある、という認識を持っている程度にしか過ぎない。
 重厚かつ気品の溢れる全面ガラス張りのこのお店を、深知留はいつも外から眺めるだけだった。
 とてもじゃないがここは稼ぎも無いような学生が入れるような場所ではないし、例え入れたとしても学生の小遣いごときで変えるのはハンカチ数枚レベル。
 だが、環が女性従業員に揃えさせたのはもちろんハンカチなどではなかったわけで……。
「だったら、好きな物を選ぶといい」
 環はそう言いながら服や靴、鞄、装飾品の数々を見回す。これらは先ほど、この部屋に入るなり環が女性従業員に頼んで深知留の前に並べさせた品々だ。
「いや……選べと、言われても……」
 深知留は環と同じようにブランド品を見ながらとぎれとぎれに答える。
 確かにこのブランドは流行ってはいる。十代後半から三十代前半くらいの女性の間で特に。
 最近、巷に出回っている女性雑誌のほとんどにはこのブランドの名前が出ている。特に近頃はクリスマスに託けて『彼氏や夫にプレゼントされたいブランド』などの特集でその名を様々な場所で目にする。それは今や、若い女性がほしがるブランドのナンバーワンといっても過言ではないだろう。
 もちろんそれは深知留の通う大学でも例外ではない。ちょっと裕福な家庭の子や年上の彼氏を持つ子たちは『パパ(もしくは彼氏)に買ってもらったの〜』などと言って、ブランドロゴの入った鞄やネックレス、指輪などを身につけていた。中には全身このブランドで固めている、なんて子も深知留は目にしたことがある。
 しかし、何というか……深知留は元来こういうものにあまり興味がないのだ。
 可愛いとは思う。素敵だとも思う。ただ、深知留はそれを身につけたいとは思わない。稼ぎのない学生の自分には適当ではないと思うのだ。
(やっぱり、きちんとお断りしよう……)
 深知留は改めて心に決めた。
「龍菱さん、やはりわたしには選べません……」
「もちろん一つに絞る必要はない。女性の大切な髪を切らせたんだ。気の済むだけプレゼントするよ」
――いや、そういう選べない、じゃなくて……
 深知留はそう言おうとしたが環の屈託のない笑顔に何も言えず、引きつるような笑顔をだけを返す。
「あぁ、そうか。この中に君の気に入るものがないのか。気づかなくてすまなかった……すぐに別のを持たせよう」
 環は思いついたように手をスッと挙げる。
 それを合図に、環の後ろに控えていた女性従業員が一礼をして部屋を出て行った。
「あの……」
 女性従業員が出て行ったのを見計らって深知留はポツリと喋り出した。
 環は、なんだい? と深知留を優しい目で見る。
「龍菱さんのお気持ちは凄くありがたいんです。でも、ここの品物はわたしには過ぎるプレゼントですから」
「だったら、違う店にするかい? 会社の子たちがこのブランドを勧めたものだから、つい……。深知留ちゃんが好きなブランドがあれば教えてもらいたいんだが。別に服や装飾品でなくとも、君に欲しいものがあればそれで構わない」
 環は自分の選択ミスを詫びるように次なる提案を出す。
 深知留はそんな環の態度を少し不思議に思っていた。
 環は正真正銘の御曹司で、多くの人に傅かれて生きて来たのは恐らく間違えない。それなのに、たまたま知り合ってちょっとアクシデントがあっただけの相手に、これほどまでに真摯な対応をしてくれる。
 それが上流社会で育てられた者の最低限のマナーだ、と言われれば深知留は納得しないわけでもなかった。それでも、環が世間一般の御曹司とは明らかに違うということに、深知留はわずかの間で感づいていたのだ。
 というのも、深知留の身近には、やはり規格外御曹司の蒼の存在があるからかもしれない。
 蒼と同様、環にはやや強引なところがある。しかし、環が本当にただの御曹司の強引さしか持ち合わせていなかったら、そもそもあの時空港でお金を渡すなり何なりして事を穏便に済ませていただろう。
 例え今回のように深知留をここに連れてきても、やはり金にモノを言わせて適当なものをいくつか買い与え、それで無理矢理にでも満足をさせようとするはずだ。しかし、環はそうはせずあくまで本心から詫び、深知留を喜ばせようと努力している。
 このお店だって金額如何の問題ではなく、単に『最近女性に人気がある』という理由に重点を置いて深知留を喜ばせるために選択したのだろう。
 深知留は一通り考えをまとめきると、でしたら……と言葉を切り出した。
「龍菱さん。本当にわたしの欲しいもの、なんでも買ってくれます?」
「もちろん。どんなものでも」
 環は任せなさいといった風に答えた。