カタタタタ……カタ……カタタタ…………
 単調なようで規則性のない音に深知留の聴覚が刺激される。
 覚醒に向かい意識が準備を始めるが、本能はもう少し寝ていたい、と主人にねだる。
 それを受けて、深知留は素直に本能に従い、再び眠り込むべくして寝返りを打ちその身を布団の奥へと潜り込ませた。
「う……ん…………」
 頬でシーツがこすれると、柔らかい香りが深知留の鼻腔を刺激する。
(…………?)
 いつもとは少し違う香りに、柔軟剤か洗剤を変えたっけ? と深知留は思う。
 でも、そんなことは今はどうでもいい。
(まだ……眠い……)
 深知留はそのまま寝心地の良い体の位置を探そうとモソモソと動く。
 カタタ……カタタタタタ……カタ……カタ…………
「んン……」
 深知留は起こさないでくれとばかりに、再び聞こえてきた音から遠ざかろうとコロンと一回転をして二度目の寝返りを打った。
(…………)
 そこで初めて、深知留は確実にいつもと何かが違うことに気づく。
(わたしのベッド……こんなに広かった?)
 夢うつつの状態ではあるが、妙に冷静な疑問が深知留の脳裏に浮かぶ。
 深知留が普段使っているベッドはシングルで、さほど広くはない。一回転ほど寝返りを打てば、すぐに端から端に到達し、手足が壁にぶつかるかベッドから飛び出す。
 でも、今深知留は確実に二回転はコロコロと転がった。
(……なんで……?)
 目覚めた深知留はモソモソっと顔を布団から出す。
 クチャクチャになった髪の毛をかき分け、薄目を明けると数メートル先に何かが見えた。
 部屋はダウンライトがついているだけで薄暗く、鮮明には見えない。しかも、未だ寝足りない深知留の頭は朦朧としている。
 それでも、視界の中に収めた物を認識することくらいはできた。
 深知留が見た物、誰かの大きな背中。
(男の人みたいな……誰かの背…………)
(――――!!)
 深知留は一気に目が覚め、ものすごいスピードで飛び起きた。
 そして、勢い余った深知留は今まで寝ていたベッドの上に畏まって正座なんぞをしてしまった。
 驚きで跳ね上がった心拍数が、ドキドキとうるさいほどに音を立てる。息苦しささえ感じるほどに。
「深知留ちゃん、起きた? もしかして……うるさくて起こしてしまった?」
 今まで深知留に背を見せていた男、環は仕事をしていたパソコンを閉じ、ゆっくりと振り返って笑いかけた。
「す、すみませんっっっ!! 申し訳ございません!! わたし、とんでもないことを!!」
 深知留は不祥事をやらかした後の釈明会見のように謝りの言葉を述べ、思わずベッド上で土下座をする。
 まぁ、確かに不祥事と言えば不祥事をやらかしたのだが。
 環はそんな深知留を見ながら席を立ちベッドの端に腰掛けると、ベッドのスプリングがわずかに軋み、その振動が深知留にも伝わる。
「気分が、悪いわけではないね?」
 環は深知留が眠くなって眠っただけだと思っていたが、一応確認をしてみる。
「全然悪くないです。むしろ寝て起きて気分爽快ぐらいで」
 深知留は顔を上げ、大丈夫です、と、つい数時間前ブランドショップでしたように右手をブンブン振る。
「深知留ちゃん、ほら、髪がクシャクシャだ」
 環は面白そうに笑いながら深知留の髪を指で梳き、優しく解いてやる。
 こうして環が深知留の髪に触れるのは二度目だ。
 深知留は前回同様酷く恥ずかしかったが、嫌ではなかったのでそのまま俯き加減に身を任せる。
「疲れてた?」
「……昨日徹夜しちゃって、それでちょっと。セミナーの準備に時間が掛かってしまって……」
「あぁ、セミナーねぇ。宗本教授……妥協って言葉知らないもんな。俺も当時はよく徹夜したよ」
 環は昔を懐かしむように笑った。
「疲れてるのに、連れ回して悪かった」
「いえ、大丈夫です。気になさらないでください。それに龍菱さんのおかげであのチョコレートも食べられましたし」
 言って深知留は辺りを見回す。
 よくよく考えれば、ここはどこ? ……と深知留は自分に問いかけたのだ。
 深知留には、車内でチョコレートを食べながら環を待っているところまでしか記憶がない。
「ここ……」
「あぁ、俺の家だよ。深知留ちゃんが寝ちゃって、送っていくにもどうしていいのか分からなかったから連れてきたんだ。一応起こしたんだけど起きなかったから。それに、仮に体調が悪いと困ると思って」
 深知留の発した言葉とも言えないようなものに、環は深知留が欲している答えを並べてくれる。
 よくよく見れば、深知留が寝ていたベッドはキングサイズのだだっ広いベッドだった。
(……どおりで二回転も転がれるはずね)
 深知留はすんなり納得した。
 その部屋はとてつもなく広く、ベッドが一つとパソコンが置かれた机、それに椅子、壁面にはいくつか本棚が設置され、そのうち一区画には五十インチ程の薄型液晶テレビが置かれていた。さらには三人がけのソファーが小振りの机を挟んで一対置いてある。そして、ベッドと机が置かれている区画はソファーが置かれている区画と引き戸で二部屋に区切れるような造りになっていた。
 言わずもがなだが、調度品は深知留が見ても相当高いものだろうと窺える。だって所々に施してある彫刻の精細さや豪華さが半端ではなかったから。
 深知留は無意識のうちに自分の部屋と比べて、まるで月とすっぽんだと思った。もちろん、比較することさえ烏滸がましいほどの差である。
 強いて言えば、華宮の屋敷と比して初めて同等というところだ。
「深知留ちゃん、それで今十時なんだけど……家族は大丈夫?」
「じ、十時!?」
 今まで部屋を食い入るように見ていた深知留は一気に我に返った。
 慌てて腕時計を確認すると、確かに十時を少し過ぎている。
「心配してるんじゃないか? 一度家族に連絡を、とは思ったんだが、君の携帯を失敬するのも気が引けたのでね。すぐに送っていくが、とりあえず今電話をしたらどうだ? 何なら俺から説明してもいい」
「あ、それは問題ないです。わたし独りなので」
「あぁ一人暮らしか。親御さんは別の場所に?」
「いえ。母と二人暮らしなんですが、今、イギリスに出張してるんですよ。ほら、空港で会った日、母を見送りに行ったんです。まぁ正確には三ヶ月ほどの一人暮らしですね」
 自らの身辺状況を話した深知留に環はなるほど、と納得の表情を見せた。

 その後、環は深知留を家まで送り届けてくれた。
 余談ではあるが、環の部屋を出て駐車場に向かうまで、深知留はカルチャーショックを受け続けた。
 あり得ない敷地にあり得ない建物。更に環を見かけると立ち止まって頭を下げる使用人やメイドたち……
 しかも駐車場に着いたら着いたで並んでいるのは高級外車のオンパレード。ここの家はディーラーか、と突っ込みたくなるほどに。
 そりゃ深知留も蒼のとこの屋敷でそれなりに見慣れてはいる。しかし、さすが菱屋グループ御曹司、と密かに思ってしまった。
 そして、自分にはつくづく縁のない人だと深知留は改めて感じさせられたのだ。