「単刀直入に言います」
瑞穂は深知留と向き合うなり切り出した。
そして言った。
「環さんと別れていただけませんか?」
(そりゃ随分ストレートだこと……)
深知留は即座に思うが口には出さない。
「嫌だと、言ったら?」
挑戦的だとは思うが、あえて瑞穂に聞いてみる。
すると、
「もちろんただでとは言いませんわ。おいくらで別れていただけます?」
瑞穂から返ってきたのは驚くような言葉だった。
「……お金で、別れろと?」
「えぇ。ご所望の額を言っていただければ今ここで小切手を切ります。一千万? 二千万? それとももっと?」
「…………」
涼しい顔して凄いことを言ってのける瑞穂に、深知留は呆れて何も返せなかった。
「さっさとお言いなさい。いくらでもいいと言っているでしょう?」
「瑞穂さん、待ってください」
苛立つ瑞穂を宥めるように深知留は言葉を放つ。
「なぜ、お金を? お金を積んだらわたしが環さんと別れると思うのですか?」
「えぇ。だって、あなたが環さんと付き合っている目的はお金でしょう? あなた、どこの令嬢かと思って聞けば、単なる庶民の娘だって言うじゃない。しかもまだ学生? 笑っちゃうわよ。そんなあなたが環さんの持つお金以外に何の目的があるって言うの?」
(まぁ、顔とか体とか?)
深知留は心の内で至極真面目に答えてみる。
自分がどうこうはさておき、一般論として、例えお金が無くてもあの容姿があれば環に寄ってくる女性は多いはずだ。
しかし、まさかそれを瑞穂に言うわけにもいかない。
「確かに、瑞穂さんのおっしゃるようにわたしは一般庶民です。あなた方とは住む世界も違います。でも、お金が目的で環さんとお付き合いしてるわけではありませんから」
深知留は当たり障りのないことを冷静に答えた。
「それだけじゃないわ。あなたまだ二十三ですって? それで八歳も年上の環さんに釣り合うとでも思ってるの?」
(環さんて、三十一なんだ……。初めて知った。まぁあの落ち着き方は三十過ぎだよね)
深知留は瑞穂の言葉には動じず、むしろ情報収集出来たことの方にメリットを感じていた。
これが演技と分かっているからか、じゃあ世の中の年の差カップルは全員駄目ですか? と聞いてやろうかと思うくらい、この時の深知留は冷静だった。
「お言葉ですが、年齢は恋愛においてそんなに重要なことですか?」
深知留はため息混じりに尋ねる。
そして瑞穂の目をしっかりと見て言葉を続ける。
「好きになってしまったのに、年齢を理由に諦める……そんなのって馬鹿げていませんか? それに、そんなことで諦められるなら初めから好きじゃないって事です。違いますか? 瑞穂さん」
「…………」
自分より四つも年下のくせに、あまりにも冷静な深知留に対して瑞穂は押し黙った。
その時、深知留と瑞穂の姿を建物の陰から目で追い、その会話に耳を傾ける者たちがいたことに深知留も瑞穂も気づいていなかった。
深知留は答えを急かすこともなく、瑞穂を見つめ続ける。
やがてその視線に耐えきれなくなったのか、
「だったら……だったら教えてちょうだいよ。単なる女子大生で、一般庶民のあなたが環さんに何を与えてあげられるって言うの? わたしなら……わたしだったら愛する環さんのために何でもしてあげられるわ。ホテル王という地位も名誉もあげられる。でも、あなたに何ができるの?」
瑞穂は一気に捲し立て始めた。
しかし、深知留はそんな挑発には乗らない。
「そうですね。わたしは瑞穂さんほど大それたものを環さんには与えられません。それでも、わたしなりの驚きや経験は与えてあげられると思います。あなたの言う一般庶民の生活を教えてあげることもできますよ」
言いながら、深知留の脳裏にはコンビニエンスストアに一緒に行った時の環の姿が浮かんでいた。
あの時の環は本当に物珍しそうに店内を見ていた。
生粋の御曹司である彼にとってコンビニエンスストアという場所は慣れないのか、もしくは来たことさえないのかもしれない、と深知留は思っていた。
「そんなもの……次代の菱屋グループを担う彼に必要なわけないでしょう? あなた、おかしいんじゃないの?」
瑞穂は小馬鹿にしたように鼻で笑う。
深知留はそんな彼女を穏やかな表情で見つめていた。
「そうですか? 庶民の生活を知らなければ、庶民を相手に商売はできませんよ。瑞穂さんちのホテルだって、菱屋グループだってお客さんはほとんど庶民でしょう? 需要と供給のバランス、それって凄く大切ですよね?」
最近蒼と交わした会話の一部で、深知留は言葉を締めくくる。
まぐれにも蒼のそんな台詞を覚えていた自分に、深知留は内心胸をなで下ろした。そして、持つべき物はちょっと変わった幼馴染みだ、と密かに思う。
深知留のその台詞には、物陰の人物のうち一人が堪えきれずにフッと笑みを零した。
「瑞穂さん、ひとつ聞いてもいいですか?」
深知留はもう一つどうしても瑞穂に聞きたいことがあった。
「先ほど環さんのことを愛していらっしゃると言いましたよね? 瑞穂さんは環さんのどこが好きなんですか?」
「それは……彼は龍菱家の次男だし、やがては菱屋グループの幹部としてお兄様を支える立場になられるでしょうし……。それに、環さんと結婚すれば蓮条のホテルはより一層規模の拡大を図れるわ。だからわたしは好きよ、環さんが」
まるで模範解答のように答え、言ってやった、とばかりに鼻息を荒くする瑞穂を深知留は少し寂しそうに見る。
本音を言えば深知留は瑞穂の返答にちょっとだけ期待していたのだ。
もし、彼女が本当に環の事を好きなのであれば、深知留には少し考えがあったから。
偽恋人として多少後ろめたさのあった深知留は、本当の本当に瑞穂が環を好きなのであれば後でちょっとくらい環に推してもいいと思っていたのだ。お見合いを邪魔したせめてもの償いに。
でも、瑞穂の出した答えは深知留が期待したものとは異なった。
むしろ、正反対。
「瑞穂さん、それ、環さんを好きなんじゃなくて、菱屋グループの御曹司が好きなんじゃないですか?」
「……は? だから先ほどから言っているでしょう? わたしは環さんを……龍菱環さんを愛していますって」
瑞穂は深知留の言葉の意味が解せない様子だ。
「ええ。だから環さんが龍菱環、だから愛しているのでしょう? 菱屋グループの御曹司だから好きなのでしょう? ……それって寂しくないですか?」
ようやく意味を理解したのか、瑞穂はその目を大きく見開き、次の瞬間にはその顔を歪める。
図星、そんな言葉が今の瑞穂には良く当てはまる。
「……それなら深知留さん、あなたは彼のどこを好きだというの? もちろん言えるんでしょうね? 教えてごらんなさいよ。さぁ……さっさと言ってみなさいよ!」
すっかり逆上してしまった瑞穂は深知留の両肩に勢いよく掴みかかる。
「そうですねぇ……」
興奮する瑞穂を余所に深知留は悠長に考えた。
本当は『全部』とでも言って逃げたいところだが、今の瑞穂にその返答は火に油を注ぐだけだというのは簡単に想像できるし、恐らく納得しないだろう。
しかし、好きなところ、とダイレクトに聞かれると偽恋人の深知留としては困りものであり、とりあえず最善策として環のいいところを挙げることにした。
「まぁ、何て言うか、妙に責任感が強かったり、優しかったり、放っておいたっていいような事に真面目にお詫びしようとしたり……そんな紳士的なところですかね」
深知留はこれまでの環を思い出しながら順々にいいところを挙げていく。
そして、
「あと、たまにお日様みたいな笑顔を見せるところ、ですね。すごく嬉しそうに笑うんですよ、環さん。思わず見とれてしまうくらい素敵な笑顔なんです。見たことありますか?」
深知留は話しながら環の笑顔を思い出して、思わずニコリと笑みを零してしまった。
瑞穂はそんな深知留を見ながら体をワナワナと震わせる。
「……何よ! 知った風な口きいて。恋人だからって何なのよ!!」
瑞穂はもはや叫び声とも言えるような大声で深知留を罵った。
生粋のお嬢様は完全にプライドを傷つけられたようだ。
深知留はそれを宥めるように、肩口を掴む瑞穂の手に自分の手を添える。
「恋人だからです。好きだから、知ってるんですよ」
本当は違うけどね、と深知留は心の中で添える。
しかし、瑞穂の怒りはもはや収まらない。
「触らないでよ、汚らわしい。あなたなんて……あなたなんて何の価値も無いくせに!!」
瑞穂は言い放って深知留の肩から忌々しそうに手を離した。
その時だった。
瑞穂が草履の上でわずかに体重のバランスを崩し、彼女の体がぐらりと揺れる。
そんな彼女のすぐ横には池…………
「危ない!!」
そう叫ぶが早いか、深知留は瑞穂の体を勢いよく突き飛ばす。
「きゃあ……」
瑞穂が体勢を崩して傍近くの芝生に倒れ込んだ次の瞬間、
バッチャーーーーーン!!
ものすごい音が、辺りに響き渡った。