「深知留ちゃん、わたしのこと……分かるかしら?」
「鈴さん……ですよね?」
 深知留は一応の自信はあったが確認するように答える。
 前回見た鈴は着物で凛としていたが、今日の彼女は洋服でそれも結構甘めの格好をしているために随分と雰囲気が異なる。
 前回はまとめていた栗毛色の髪の毛も、今日はクルクルと巻いて垂らしている。
 結っているよりそっちの方がやっぱり可愛かった、と深知留は鈴を見ながら思う。
「そうよ、正解。覚えていてくれて嬉しいわ」
 鈴はにっこりと笑って深知留のベッドサイドまでやってきた。
「少し、痩せちゃったかしらね? 肺炎を起こしたのだから無理もないけれど……。でも、これでお母様も安心するわね」
「え……? 母は……母はこのこと知っているんですか!?」
 深知留は思わず鈴に聞き返す。
「あら、環さん、深知留ちゃんにまだ何も言ってないの?」
「えぇ、まだ何も」
 環の答えに鈴は再び深知留を見る。
 そして、言葉を続けた。
「あのね、もしもの事を考えて深知留ちゃんのお母様には、雅さんの方から連絡を取らせていただいたの」
「えぇ!?」
 深知留は思わず驚愕の声を上げてしまう。
 しかし、鈴の話はそれだけでは済まされなかった。
「それで……深知留ちゃん、お母様にまだ環さんのこと言ってなかったのね? お母様凄く驚いていらしたわ」
「…………」
(そりゃビックリするでしょうよ……)
 深知留は鈴の話を聞きながら、自分の体からサァっと血の気が引いていくのを感じていた。
 多英子がどれだけ驚いたのか、深知留には容易に想像できる。
「でもね、事情が事情だったから主人の方からお母様にはきちんと説明させていただいたわ。環さんと真剣に交際していますって。別に……大丈夫よね? 深知留ちゃん」
――全然大丈夫じゃないです!!
 力一杯そう答えようとする自分を深知留は必死に抑える。
 そして、どーなってるんですか!? とばかりに深知留が環に視線を送ると、こうするしかなかったんだ、とでも言いたげなすまなそうな目線が返ってきた。
「それからね、深知留ちゃん」
 鈴は本題はこれからよ、とでも言いたげに深知留にフフッと笑って見せる。
「退院したら、深知留ちゃんはお母様が帰国されるまで龍菱のおうちで暮らすことになったのよ。深知留ちゃん今一人暮らしなんですって? 静養するにも人手があると楽でしょう? それに環さんともずっと一緒にいられるわ」
 本当の恋人同士なら両手を挙げて喜びそうな提案をドーンとした鈴は、嬉しそうに笑っていた。
 そんな鈴につられて、深知留も思わず笑ってしまう。あくまでその顔は引きつっていたが。
 病み上がりの身体(未だ完全復活ではない)には衝撃が強すぎて、その時の深知留は注意をしていないと今にも意識を手放してしまいそうだった。
 むしろ、こんなことならまだ目を覚ますんじゃなかったとさえ深知留は思っていた。








『あら深知留、もう良くなったの?』
 電話機の向こうの多英子は深知留が想像していたのとは真逆の対応だった。
 深知留はてっきり、怒られると思っていたのだ。
 真実はさておき、状況としては恋人がいるのを黙っていたわけだし、その恋人も大学の人とかではなく考えられないくらいハイソな人だし、おまけに入院までしたし……。コラ、と多英子から一喝されるくらいの覚悟は深知留もしていた。
 しかし、どちらかというと多英子は上機嫌である。
「うん、もう大丈夫。今日退院できたから。あの……お母さん……」
――どこまでどう聞いてるの? 
 深知留はそう聞きたかったが、多英子はそんなのお構いなしに自分の話を進める。
『ホント、驚いたわよ。あんたに彼氏がいるなんてお母さん全然知らなかった。それに、あの菱屋グループの次男ですって? どうやって出会ったのよ。もしかして蒼君の紹介? 黙ってるなんて水くさいじゃない』
「あのね、お母さん……」
『大丈夫よ。年の差や身分差があったって別れなさいとか言わないから。あんたのことだからつまらない心配してわたしに黙っていたんでしょうけど、これでも寛大なのよ、わたしは。……ただ、日本に帰ったらきちんと説明しなさいよ? それから、紹介も。楽しみにしてるからね?』
「いや、あの……」
『とにかく、元気になって良かったわ。声も聞けて安心した。また、メールするわね。龍菱さんのところにお世話になるんだから、よーく言うこと聞くのよ? じゃあね』
「ちょ……待って、ねぇお母…………」
 深知留が言いかけている最中に、受話口からはツーツーという電話が切れた音が聞こえ始める。
――お願いです、お母さん……どうか娘の話を聞いてはもらえませんか?
 そんな思いも虚しく自己完結をしてさっさと電話を切ってしまった多英子に、深知留は諦めたようにハァッと深いため息を吐いて切ボタンを押す。
「お母様、安心された?」
「あ、はい」
 問いかけた鈴に返事をしながら、深知留は向かいのソファーに座る鈴に電話の子機を返す。
 ここは龍菱家のリビング。深知留の隣には環、真正面には鈴と雅が座っている。
 雅は仕事を途中で切り上げたらしく、前回深知留がお見合い会場で見た時とほぼ同様の支度をしている。
 昼過ぎに病院で処方された薬を受け取った深知留は、そのまま退院してやや強制連行という形でこの場に連れてこられた。
 そして、連れてこられて早々、鈴が気遣ってイギリスの多英子の元へ国際電話をかけてくれたのだ。
 深知留ははっきり言って未だ放心状態に近い。少なくとも、このやたら豪奢な造りのリビングルームが気にならないくらいは。
 元々軽い気持ちで受けた環の恋人役がまさかここまで大事になってしまうとは、深知留自身微塵も思っていなかった。
 しかも、病室で鈴が合流してから深知留は環と二人きりになる時間が取れず、当の首謀者と口裏を合わせることもできなかった。だからといって、環の問題もあるために深知留は一人勝手に『実は偽恋人なんです!!』と宣言してしまうこともできない。
 結局今の深知留にできるのは状況に身を任せること、ただそれだけに尽きる。
「深知留ちゃん、今回は本当に大変な思いをさせてしまって申し訳なかった」
「あ、いえ……そんな、やめてください」
 改まって深々と頭を下げた雅に、深知留は放心していた意識を回収する。
「頭を……上げてください。今回のは誰のせいでもありません。わたしが勝手に池に落ちた、ただそれだけですから」
「でも深知留ちゃんは瑞穂さんを庇ったんだろう? その少し前には瑞穂さんが君を押したと……」
「違います。瑞穂さんは確かにわたしの手を振り払いました。でも、それだけです。彼女は悪くありませんから」
 深知留は雲行きの怪しくなった雅の言葉をすっぱりと切った。
 別に深知留は瑞穂を庇う気は無かった。でも、真実を湾曲されて瑞穂を悪者にするのは何だか嫌だった。
「しかし、事と次第によっては……」
「兄さん、もういいじゃないか」
 今度は環が雅を遮った。
「深知留がいいって言ってるんだ。あちらもそれなりの謝罪と誠意を見せているんだからもう終わりにしよう。……それでいいんだろう? 深知留」
 環の言葉に深知留はしっかりと頷く。
「じゃあ、深知留ちゃんにはもう休んでいただきましょう? まだ体調も戻っていないでしょうし」
 そう言って話を切り替えたのは鈴だった。
 正直なところ、深知留はそれがありがたかった。鈴の言う通り、体調が本調子でないのもそうだが一刻も早く環と二人きりになりたかったから。いや、決して変な意味ではなくて……。
 単に作戦会議なるものを開かなくてはならないと深知留は考えていたのだ。
「それで、深知留ちゃんに使ってもらう部屋なんだけど……離れの静かな部屋がいいと思うのよね。じゃあ、深知留ちゃん行きましょう」
 鈴はひとり何かを納得すると、すぐに深知留を連れて部屋を後にした。