何でそんなところに行こうと思ったのか分からない。
 深知留は一旦家に帰って、着替えを済ませてから真尋と共に合コンへ向かった。
 慣れないスカートを穿き、化粧もいつもより濃いめに施して……何をやってるんだろう、と冷静になろうとする自分を懸命に抑えながら深知留はその場へ出かけて行った。
 「今日の深知留さん変ですよ?」と心配する真尋に、「大丈夫」と答えながら、深知留はそれを半分自分に言い聞かせていたのかもしれない。
 合コンが始まって既に一時間ほどが経った頃、皆はそれぞれに気に入った相手と歓談を楽しんでいる。
 深知留はウーロン茶の入ったグラスに口を付けながら何を見るとも無しに視線を遊ばせている。
 その時既に、後悔、という二文字が深知留の中で色濃くその存在感を誇示し始めていた。
 理由もなくこの場に来てしまったものの、賑やかな場の空気に乗ってしまえば何もかも忘れられると深知留は思っていたのだ。しかしそれは浅はかな考えでしかなく、場が賑やかになればなるほど彼女は悶々とした気持ちを募らせるだけだった。
 それでも、アルコールさえ入れば多少はマシになるかと思ったが、深知留は乾杯のビールを数口飲んだだけでそれ以上は体がアルコールを受け付けなかった。
 別にお酒に弱いわけではない。随分前に二十歳は過ぎてこれまでだってそれなりに飲んでる。なのに今日だけは駄目だった。酔えないだけでなく、気持ち悪くなるだけだったのだ。
(駄目な時ってホント何やっても駄目ね……)
 深知留はこみ上げる自嘲をウーロン茶で流し込む。
 と、その時、
「ねぇ、深知留ちゃん……隣、いいかな?」
 一人の男性が深知留の隣にグラスを持ってやってきた。
 深知留は軽く会釈をしながらその頭をフル回転させる。
 顔に覚えがあるが、自己紹介の時の名前を思い出せないのだ。
(確か戦国武将みたいな名前……徳川? 豊臣……? いや、そんなに強くはなかったような……)
 考えてはみるが、そんな当てにならない記憶しか出てこない。
明智あけち、だよ。忘れてたでしょう?」
 男性、明智はそれを察したのか自ら名乗ってくれる。
(そうか、明智か……)
「そんな……突然で少し驚いただけですよ」
 深知留は思っていることとは裏腹にその表情に営業スマイルを作りながら対応する。最近、我慢と後悔をすることもさることながら、こうして偽物の笑顔を作ることもやたらとうまくなっている。
「そう? まあ良いけど。それより、全然飲んでないね」
「アルコール、あんまり得意じゃなくて」
 笑顔を保ったまま深知留は適当な嘘を吐く。
「それなら、甘いお酒なら飲めるんじゃない? チョコレートのお酒があるって言ってたから、もらってこようか?」
「ごめんなさい。わたし、チョコレート好きじゃないんです。ウーロン茶で大丈夫ですから、お構いなく」
 再び嘘を重ね、深知留は適当にあしらう。
 環に話す時は一言一句気を遣っていたのに、なんでこんなに簡単に思ってもないことを言えるのだろうと、深知留は自分を冷静に分析する。同時に、自らを嫌な女だとも思う。
「ねぇ、深知留ちゃん、て呼んでもいいかな?」
「…………」
 突然そう言った明智の声に、深知留はすぐに答えられなかった。
『深知留ちゃん』
 深知留の中である声が甦る。
 それはもちろん環の声。
 深知留と会ったばかりの頃、彼は深知留をそう呼んでいた。
 明智の声色とは全く違うのに、深知留の中でなぜかそれが引きずり出される。
 それは単に、男の人にそんな風に呼ばれ慣れていないからだと、深知留は必死で自分に言い訳をする。
「その……駄目なら良いんだ。ただ、良い名前だなと思って」
「別に……構いませんよ」
(確か、環さんもそんなこと言ってくれたっけ)
『深く知って留める……良い名前だね』
 答えながら深知留は環の言葉を思い出す。
 が、次の瞬間には駄目だと自分に言い聞かせる。もう終わったことなのだ、と。
「あのさ、俺、実は真尋ちゃんに話聞いた時から、深知留ちゃんのこといいな、って思ってたんだよね。それで今日初めて実物見たけど、やっぱり良かった」
「そうですか? ありがとうございます」
 深知留は気持ちを隠すように、さらに笑顔を強めて答える。
 一見とても嬉しそうな笑顔に見えるそれには、一切の感情はこもっていない。
「今日深知留ちゃんに会えて本当に良かった」
 明智はそう言って深知留の手を握る。
 深知留は嫌悪感で歪みそうになる顔を必死で堪える。
 そしてまた、
(環さんには……触られても嫌じゃなかったのに……)
 環を思う深知留がいる。
 それから明智はアルコールも手伝ってか息つく暇もなく深知留に話を振ったが、彼女は精一杯の理性で二言三言を返すだけで話の内容なんてほとんど頭に入っていなかった。
「深知留ちゃん……もしかしてつまらない?」
「そんなこと、ないですよ。明智さんが楽しくお話してくださるから、聞いてる方が面白くて」
 深知留が笑顔を保ったまま、もう何度目だか分からない嘘を重ねた時だった。
「だったら、二人でもう抜けない?」
「え……?」
 突然の誘いに驚くと同時に、深知留は次の瞬間にはうんと頷いていた。








 何で頷いたのか分からない。
 店を出て歩いている最中、やたらと体を寄せたがる明智に不快感を覚えながらも、深知留は放っておいた。
 もう何もかもがどうでも良くて、半ば自暴自棄になっていたのかもしれない。
「深知留ちゃん、どこでも良い?」
 そんな声が聞こえて、深知留はふと我に返る。
「……え?」
 気づけばそこは繁華街の隅にあるホテル街だった。
 怪しい色目のネオンが一面に輝く。
「明智さん……困ります。わたしそういうつもりじゃ……」
 驚いた深知留は慌てて明智から体を離した。
 しかし、明智はそんな深知留の右腕を強く掴んだまま離さない。
「今更カマトト振るなよ。そういうことくらい分かって付いてきたんだろう?」
 今までの優しい口調が嘘のように言葉を強めた明智に、深知留は焦り始める。
 確かに、深知留は明智の誘うままに付いてきた。しかし、こんなつもりではなかったし、こんなこと考えもしなかった。
「明智さん……わたし、本当に困りますから……」
 深知留は何とか明智の手を振りほどこうとする。
 しかし、
「別に、一度や二度男と寝るくらいなんて事無いだろう? 体の相性くらい試したって良いじゃないか」
 所詮女の深知留が成人男性の明智の力に叶うはずはない。
「本当にそういうつもりじゃないんです……」
(助けて……、誰か、助けて……)
 深知留が心の内で必死になって助けを求めたその時だった。
「その手を離してもらえるか?」
 静かな落ち着いた声が聞こえた。








「ねぇ……竜臣さん。車止めてください」
 蒼と外食に出ていた由利亜は、今まで車中から窓の外を見ていたかと思うと突然声を張り上げた。
「由利亜?」
「…………」
 蒼が尋ねるも、由利亜は窓の外を食い入るように見ているだけで返事をしない。
「由利亜、どうしたんだ?」
 蒼は再び尋ねる。
「あれ……深知留さんですよね? 少し離れててよく見えないですけど……あの反対車線で今、誰かに手を捕まれてる人……絶対深知留さんですよね!?」
 言われて、由利亜が指差す先に目を凝らすと確かに裏路地の入り口に深知留らしき人影が見えた。
 傍にいる男性に手首を捕まれ、必死に抵抗している様子が窺える。
 蒼は男性の方へと目を凝らすが、それはどう見ても蒼がそうであって欲しいと願う人物ではない。そして、深知留と男性がいるのは好ましいとは言えないホテル街への入り口……
「あの馬鹿、何やってるんだ……」
 蒼は呟くように言った。
 そうこうするうちに、竜臣は車を歩道へと横付けする。車が止まるや否や、由利亜と蒼は飛び出すように車を飛び降りる。
「蒼様!? 由利亜様!?」
 竜臣の呼びかけを二人は背中で聞きながら走り出していた。