それは時計の針が午後五時を過ぎた頃のこと。
 政宗が環のところへ書類を取りに行くと、少し開いた扉からのぞく環は丁度電話をしているところだった。その声色は穏やかで、誰と電話をしているのかは聞かずともすぐに分かった。ようやく待ちに待った深知留の用事が終わったというところだろう。
 そのまま政宗が扉の前で待っていると、電話を切った環がコートを羽織りながら書類を片手に出てきた。
 政宗はそれを無言で受け取り中身を確認する。
 一通り確認を終えると、
「お帰りですか?」
 そう上司に問うた。
「あぁ、約束があるから」
 答えた上司の顔は晴れやかで、もう楽しくて仕方がないという顔をしていた。そんな顔を見ると、「まだ仕事がありますよ」とでも言って突き落としてみたくなる気もするが、可哀想だから今日はもう黙って見送ってやろうと政宗は思う。
 ふと気がつけば、環の首には朝見た物とは異なるネクタイが結ばれていた。それはいつも環が身につけている物とはどこか違うような、少し可愛らしささえ覚えるデザインで……
 政宗はそれが深知留からの贈り物であることをすぐに理解した。恐らくクリスマスプレゼントだろう。
「お気を付けてお帰りください。それから、深知留さんによろしくお伝えください」
「ありがとう。そういうお前も今日は早く帰ったらどうだ? 最近、まともに会ってやってないんだろう?」
「そうですね。誰かの御陰様で全く」
「……悪いと思ってるよ。だから、今日は帰るといい。クリスマスだからな」
 そのままポンポンと肩を叩いて去っていった上司を政宗は静かに見送った。
 それから再び書類を見ると、そのうちの一枚に付箋が貼ってあることに政宗は気付いた。そして、そこに書かれている内容に目を通した瞬間、
「学習してますね……」
 政宗は思わずそう言葉を漏らした。
 付箋には、今日仕事をした分明日は午後から出社するという旨が綴られていたのだ。
 ダイレクトに政宗に交渉すれば駄目だと言われるのは分かっているから、その上での強行突破策と言ったところだろうか。
 政宗は一応即座に頭の中でスケジュールをめくるが、明日の午前は特別大切な案件は入っていなかったように思える。
「まぁ、クリスマスですから仕方ないですね」
 政宗は既に見えなくなった環の嬉しそうな顔を思い出しながら静かに独り言ちた。そして、明日は自分も午後出勤にしてやろうかとこっそり思う。








「綺麗……」
 キングサイズのベッドの上、素肌にバスローブだけを身に纏った深知留は眼下に広がる夜景に見とれる。
 ここはとあるホテルのスイート。環がそれなりのルートを使って今日のために無理矢理確保した一室である。
 この部屋の作りは少し変わっていて、キングサイズのベッドが窓辺に設置されているからベッドに横になったまま夜景を見られるという寸法だ。
「気に入った?」
 窓辺ではしゃぐ深知留に声を掛けたのは今しがたバスルームから出てきた環だ。
 環は自身もベッドの上へ上がると、深知留を後ろからそっと抱きしめる。すると、バスローブ越しの深知留は少しひんやりとした。
「こんな格好で窓辺にいるから、体が冷えてる」
「だって、すっごく綺麗なんですもん……こんなの初めてです」
 深知留は振り返ってニコリと笑う。
 環はそんな深知留の顎を捕らえると、少しの隙にその唇に口付けを落とした。一瞬、驚いた深知留は体をピクリと震わせたが、すぐに環のキスに順応する。
 一度唇を離してやれば、深知留は環の強引さに「もぅ…」と詰るような視線を送って寄越す。
「怒った? でも、これは初めてじゃないだろう?」
 もちろん、それは深知留が怒るわけがないと計算済みでの台詞。
 案の定、深知留は怒る素振りも見せず、再び窓の外へと視線を戻した。
 と、その時、
「イッ…タい……」
 そんな声と共に深知留が突然顔を顰める。
「どうした?」
 何事かと思って環が暗いダウンライトの中目をこらせば、深知留の長い髪がネックレスの留め金部分に絡んでいるのが見えた。
 深知留はそれを部屋に灯る暗めのダウンライトのみの光源でゆっくりと解いていく。しかし、暗がりで、尚かつ首元という場所で見にくいのだろう、絡まりはなかなか解けない様子だ。
 見かねた環はそんな深知留に「髪が傷むよ」と声を掛けると彼女の髪とネックレスをその手に取り、そのまま少し手を掛ければ髪は簡単に解けた。
「ネックレス、外すか? また絡むと困るだろう?」
 環がそう言えば、深知留は駄目だとかぶりを振って、
「せっかく環さんから貰ったものだから……ずっとつけていたいんです」
 ニコリと微笑んだ。
 それが溜まらなく可愛くて、環は深知留を抱き寄せる。
 こんなに喜んでくれるなら、もっと大きなダイヤモンドでもルビーでもいくらでも送ってやりたいと思うが、きっとそれでは彼女は受け取らないだろうと思う。そういう女性なのだ。
 環がギュッとその腕に力を込めれば、「苦しいですよ」と深知留はクスクスと笑みを零す。
 その時だった。
 ベッドの傍にある椅子の上で何かが光っていることに、深知留は環の肩越しに気付く。それはすぐに携帯電話であることを深知留は認識する。
「環さん……ちょっと、ごめんなさい……」
 深知留はそう言って環の腕をすり抜け、携帯電話を取りに行った。
 しかし、それは電話ではなくメールだったようだ。
 深知留がベッドの端に腰掛けてディスプレイ内を確認をすれば差出人は由利亜。
 そこには蒼がきちんと誕生日を祝ってくれたことの報告と、先ほど深知留が渡した誕生日プレゼントへのお礼が綴られている。
 蒼に祝ってもらえたことが余程嬉しいのだろう、文章中にはたくさんの絵文字が入っておりキラキラしている。それを、流石女子高生と思いながら、深知留は自然と顔が弛んでしまう。
 だがその反対に、表情が強ばるのは環だった。
 また、蒼からだろうかと変に勘ぐってしまう。
 それがなんだか面白くなくて、
「誰から? 急ぎ?」
 環はつい素っ気なく聞いてしまった。そして、自分の元へ戻ってこいと言うかのように再び深知留を背中から抱きしめる。
「いえ、急ぎじゃなかったです。由利亜ちゃん……蒼の婚約者なんですけどね、彼女からのメールでした。今日、彼女が誕生日だったのでプレゼント渡したんです。それのお礼ですよ。あと、蒼が祝ってくれたのが嬉しかったって、その報告を」
 深知留は徐に振り返って環に携帯電話のディスプレイを向けてみせる。
 もちろんそれは、やましいことがないからこそできる行為。しかし、その時の環にはそんな内容はどうでも良かった。
 ただ、蒼という存在にばかり深知留の意識が奪われているのが面白くなくて……
 だが、そんな環の気持ちに気付くこともなく、深知留は嬉しそうに話を続ける。
「実は蒼がその誕生日の準備に手間取ったらしくて、それで今日一日彼女と出かけて欲しいって頼まれたんです。蒼が一生のお願いだって言うから、わたしも断れなくて……。彼も年末で切羽詰まってたんですよね。ここのところほとんど寝てないみたいで……まぁ、特に蒼の場合、仕事が……」
 深知留がそこまで言いかけた時だった。
 凄い外力で深知留は携帯電話を持つ手を引かれ、彼女の視界は突然反転する。一瞬の出来事に「え?」と驚きの声を漏らしている暇もなく、深知留の体はやや乱暴にベッドの上に押し倒される。
 そして、気付けばその唇は環に塞がれていた。