Karte No.2-19

 女将によって香夜が通されたのは、奥の離れの一室だった。
 そこはまるで絵に描いた様な和室。テレビドラマでよく、政治家達が黒い会談を繰り広げる様なそんな部屋だ。黄金餅やら黄金の座布団やらがやりとりされるドラマのシーンが香夜の脳内では余裕で再生できる。
 もちろんこんな所になど来たことのない香夜は、今のような状況でなければしみじみとこの部屋やら面している中庭を堪能しただろう。
 だが、状況が状況なので
「どういうつもり?」
 香夜は開口一番言った。目の前にいる男――女将曰く香夜の連れだという人物に対して不機嫌極まりない顔で。
 一応、せめてもの常識として女将が席を外すまでは待った。
 それに対する男――遥夏は脇息に寄りかかり、ただニコニコといつもの様な営業スマイルを見せている。
 彼の支度はチャコールグレーのスーツであるが、その態度はまるでどこかの悪代官か某越後屋である。それはもうどこからか、お主も悪よのぅ、とかいう台詞が聞こえてきそうな程に。オプションに黄金餅でもつけてやりたいくらいだ。
「どういうつもりかって聞いてるの」
 答えを寄越さない遥夏に香夜は問いを重ねる。
 すると、
「やっぱりお前には黒が一番似合うと思った。綺麗だよ、香夜」
 遥夏は全く違う話をする。
 だがその一言で、香夜は今自分が身につけているもの全てが遥夏によってプレゼントとして用意されたものだということを知る。どおりであの時袋にリボンが結ばれていたはずだし、ワンピースやその他諸々が全て綺麗に箱に入っていた訳だ。
「だから、なんでこんなことをしているのかって聞いているの」
 再度香夜が尋ねれば、
「今何時だ?」
 何の脈絡もなく遥夏は時刻を尋ねる。
「何時って……七時半を少し過ぎたところだけど」
 香夜は自らの腕時計の文字盤を読み上げる。
「常識的な時間だろう?」
「何がよ?」
「何がって……常識的な時間に食事に誘ったら応じるんだろう? それに、こういうところの食事なら香夜の気にする肌にだって悪くないはずだ」
 そこまで言われて、香夜は数日前遥夏とクラブ泉でそんなやりとりをしたことを思い出す。
 あの時確かに香夜は言った。常識的な時間に誘ってくれれば考えてもいい様なことを……
 言ったが、それとこれとは話が別だ。
「誰が騙してもいいって言ったのよ?」
「誰も騙しちゃ駄目とは言ってない。それに、騙したわけじゃない。少し趣の変わった誘い方をしただけだ。普通に誘ったって面白くないだろう?」
「面白くなくて結構よ。院長も共謀者(グル)なのね……?」
 ふと香夜はスーツ姿の紘務を思い出す。まさかとは思うが、香夜を騙すためだけにあんな支度をしたというのだろうか。だとしたら手が込みすぎている。
「まぁその辺は本人に聞いたらどうだ?」
 そう言うと遥夏は香夜に自らのスマートフォンを投げて寄越す。
 それを受け取ってみればディスプレイは既に通話状態になっているため香夜はすぐに耳に当てる。
 すると、
『もしもーし? ……遥? おーい。どうしたの? 香夜ちゃんそっちに着いた?』
 聞き覚えのある脳天気な声が聞こえた。
 電話の背後ではザワザワとした音がしているので、クリニックではない場所にいるらしいことは推察できる。
「院長……」
『あれ、香夜ちゃんじゃない。……ってことは、遥ちゃんのところに無事着いたんだね?』
 今の香夜の状況など露知らず、良かった良かったとばかりに紘務は言う。
 そんな紘務に、
「院長、一体どういうつもりなんですか! わたしに嘘吐いたんですね!?」
 香夜は勢いよく食ってかかる。これが電話じゃなかったら掴みかかってるかもしれない。
『嘘はついてないよ~。俺は本当にドレスコードのあるパーティーで、とあるお偉いさんのプライベートクリニックをしに来てるもん』
「だったらこれは何なんですか!」
『何って……遥ちゃんと仲良くお食事という名のプライベートクリニック? それはさておき、そこって普通じゃ行けないくらい高いお店だから遥ちゃんにご馳走して貰ってたくさん食べておいで。すっごく美味しいからさ』
 どうやら、紘務は香夜が何処にいるのかまで詳細に把握している様だった。
「あの、院長……ひとつ聞いて良いですか?」
 なんだか話の論点がずれていきそうになるこの状況を香夜は冷静に遮る。
 香夜には今、ひとつ思うことがあったのだ。
『なに? 俺のオススメ聞きたい? そうだなぁ、今の季節だったら……』
「そうじゃなくて。この見返りはなんなんですか? ……院長がわたしをここに送った見返りです」
 香夜の問いに電話の向こうで紘務がフフッと笑う声が聞こえる。
『頭の良い子は好きだよ、香夜ちゃん』
 紘務の返答に香夜はやっぱりと大きな溜息を吐く。
 これまでのことを考えたって、こういう時には絶対何か裏があるのが相場だと香夜は思ったのだ。紘務に限って無いわけがない。
『あのねぇ、最新式のハイビジョン内視鏡がどうしても欲しかったんだ。医術の向上と患者の救済には時として必要な投資があるんだよ』
「それで院長はわたしをこの男に売ったんですね」
 普通に聞けばご立派な言葉で締めくくられた紘務の言葉を香夜はバサリと斬る。
『違う違う。人聞きの悪いこと言わないの。遥ちゃんが香夜ちゃんと健全なデートがしたいって言うから、それを許可しただけ。ちなみに許可したのは食事だけ。その先までは許可してないから安心して』
(あなたはわたしの保護者か……)
 香夜は心のうちで即座に突っ込む。ただ、保護者であるのならばそもそもこんな危なげな男に娘を売ったりしないのが大前提だが。
『そんなわけだから、ご飯食べたら寄り道しないで帰るんだよ。変なことされそうになったり、変なところに連れ込まれそうになったら容赦なく蹴飛ばしていいから。うん、他の子には無理でも君ならきっとできるよ!』
「院長、わたしは……」
『ごめんね香夜ちゃん、俺もう仕事があるから』
 紘務はそう言うと一方的に電話を切ってしまった。
 あとに聞こえるのは単調な通話切断後の音のみ。
「で、売られたお嬢さんは納得したか?」
 声のした方を香夜がゆっくりと見やれば、そこにあるのは相変わらずの微笑を浮かべる遥夏の顔だった。
 香夜はとりあえずスマートフォンを遥夏へ返す。
 そして、
「わたし……」
 ――帰ります
 そう言いかけた時「失礼致します」という声と共に障子が開く。そこにいたのは先ほど香夜をここまで連れてきてくれた女将だった。
「黒衣様、お食事はいかがいたしましょう?」
「香夜、帰るなんてそんな無粋なこと言うなよ。それとも……ここの食事じゃお前は不服か?」
 遥夏は聞いた。それも、敢えて女将の前で。
 もちろん、それはこのタイミングで聞けば香夜が帰れないという計算の元でだ。
 案の定、女将は少し困った様な表情で香夜と遥夏双方に視線を送る。
 そんな状況下で、それでもなお「帰る」と香夜が言えるわけもなく……遥夏の策略通り、香夜は用意された席に座らざるを得ない状況になってしまった。

 結局、香夜はしっかりご馳走になってしまった。高級料亭の食事と酒を。
 美味しかったかどうか……そりゃもちろん美味しかったに決まってる。今後一生、余程のことがなければご縁がないと思える様な最高級の料理と美酒を堪能した。
 それもこれも、どうせ食べるなら美味しく食べたもん勝ちだと香夜が割り切ったせいもあるのだが。
 お腹が十分満たされた頃、遥夏は香夜を連れて店を出た。
 外で待っていたのは来た時同様、咲村の運転する車。しかし、今度は一緒に神崎もいた。



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